壱岐の原の辻遺跡は行ったことがある。
壱岐島の平野部、長崎県では2番目に広い平野で、
弥生時代には稲作をしてたそうな。
この頃は入江が島内部に入り込み、
交易拠点だったらしい。
東南アジアや南太平洋の貝、
シベリア地域の植物か遺物も見つかっているとのこと。
天孫降臨は高千穂、
宗像氏の援助を受けての福岡は遠賀川河口を拠点に東征、
瀬戸内から関西へと進出したと聞いたことが。
こういうことは何所の誰に聞けば教えてくれるのかしら?
私はあちこちの歴史研究家から聞いたけど、
けっこう推測も入っているようだし。
この頃の歴史に興味津々なもので。
先日は京都国立博物館の国宝展へ行ったけど、
銅鏡や縄文時代の土偶が見たかったからなのよね。
■弥生集落から中国・遼東の腕輪 魏志倭人伝の「一支国」
(朝日新聞デジタル - 11月28日 23:21)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4879863
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