母方の祖父の若かりし頃の写真が出てきました。
歩兵第41連隊に所属してた頃のもので昭和12〜13年頃の写真だと思われます。
このあと中国戦線にて従軍するも首に砲弾だか銃弾だかの破片をあびて負傷。
生死を彷徨いつつも3カ月の入院のあと無事に原隊復帰。
激戦を戦い抜き昭和16年に満期除隊。
歩兵41連隊はこのあと
太平洋戦域のラバウルやシンガポール フィリピンパナイ島・ミンダナオ島
ポートモレスビーを転戦。
ニューギニア島のオーエンスタンレー山脈で激戦の末に
全滅寸前にまで追い込まれたりと最前線で戦い激戦を繰り広げ
昭和20年7月に最後の突撃を敢行し玉砕。
中国戦線〜太平洋戦線と激戦を戦い抜き壮絶な最期を遂げたようです。
本土に残った残存部隊も原爆投下後に救助のために広島市内に入り
被爆された隊員も多かったと聞きます。
昭和16年に除隊した祖父は南方へ行くこともなく実家で農業をしてましたが
昭和20年に召集令状が来て本土決戦の陣地構築のため派遣されていた九州は福岡にて
終戦を迎え無事に故郷に帰ってこれました。
生前の祖父は戦争のことは殆ど語りませんでした。
今の時代では想像も出来ないような思い出したくもない事ばかりだったのでしょう。
本当に凄まじい時代だったと思います。
2度と戦争なんてしちゃいけない。
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