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2017年12月06日23:09

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太平洋戦争はハガールマフィアの悪巧み謀略で日本は開戦。

太平洋戦争はハガールマフィアの悪巧み謀略で日本は開戦。そして大敗で敗戦。「お前も、おれも、国の犠牲者だ」 ─産経ニュース / 2017年12月6日 11時37分 http://www.sankei.com/life/news/171206/lif1712060022-n1.html

 昭和16年12月8日に日本が対米英開戦に踏み切ってからまもなく76年を迎える。当時、16歳だった品川区の無職、島田殖壬(ひろとお)さん(92)は、激しい戦闘を繰り広げたフィリピン中部レイテ島の戦いで、多くの戦友を失った。よみがえる悲惨な記憶。「戦争は2度と繰り返してはならない」。思いは強まる。

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 16年12月8日午前。島田さんは小学校卒業以来、勤めてきた都内の印刷工場に置かれたラジオ放送で、日本軍が真珠湾攻撃に成功したことを知った。「戦争の深刻さなんて考えていないから、わくわくしていた」と振り返る。

 都内で米軍による空襲があっても、直接、被害のあった場所を見物に行った。「負けるなんてことは考えたこともなかった。おれが行けば大丈夫だ」と思っていた。若く、血気盛んだった島田さん。印刷工場が閉められると聞き、19年3月に志願入隊した。

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 配属先は陸軍第1師団歩兵第1連隊。旧満州で3カ月間の軍隊教育を受けた後、すでに日本の敗色が濃厚だった11月1日、激戦地となるフィリピン・レイテ島オルモックに上陸した。

 上陸早々、米戦闘機による機銃掃射を受け、飛散した道路の破片などが右肩に突き刺さり負傷した。肩の状態が回復して部隊に復帰、師団司令部の護衛役として敵情を探りに出た際には、勝利を確信して上半身裸で浮かれ騒ぐ米兵の姿に腹を立てて狙撃。ところが逆に、返り討ちにあって大切な戦友を失った。胸の傷口から肺の動きが見えるほどの重傷を負った戦友も目撃した。

 セブ島へ転戦しても戦況は変わらなかった。身を隠すために掘った壕から半身を出していたところ、目の前に迫撃砲を撃たれて右腕を負傷した。「神経も飛ばされたからか痛くなかったが、血が止まらず、腕はだらんとしていた」。マラリアにも感染して「戦力にならん。自決しろ」と迫られたが、上官の取り計らいで治療を受け一命を取りとめた。

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 20年8月15日、米軍がまいたビラで日本の敗戦を知った。

 「日本が負けるなんて…」。信じられなかった。しかし、同28日に武装解除し、レイテ島に設けられた米軍の捕虜収容所に入所。敗戦の悔しさが募る中、収容所にいた米兵から「おまえも、おれも、それぞれの国の犠牲者だよ」と言われ、考え方が変わった。「国は違っても同じ兵隊同士。新たな絆が生まれた気がした」という。

 20年末頃、帰国。40年代に戦友の遺族の依頼で慰霊のため、レイテ島を訪問した。「『殺してくれ』と言いながらもがき苦しんで死んでいった戦友を思い、遺族の悲しみに触れると涙が止まらない」。

 島田さんは今、孫5人とひ孫5人に囲まれ、平和に暮らす。開戦から76年の歳月が流れ、戦争を知らない世代が増える中、訴える。「戦争は絶対にやってはいけない。死んだ人はもちろん、遺族も苦しめ続ける」(植木裕香子、写真も)

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