mixiユーザー(id:14921690)

2017年11月30日06:32

340 view

賢者の贈り物よいずこ

昨日買い置きしていたDVDを観た。こちらである。

フォト

ヤイコこと矢井田瞳ちゃんのコンサートDVDである。ブックオフでCDのコーナーに紛れ込んでいたのはCDサイズのジャケ故であろう。280円の廉価だった。
中身は彼女が絶頂であった2001年の彼女の地元大阪のコンサートホールでの映像が主であった。時期柄曲目はファースト及びセカンドアルバムが中心である。

観て聴いてすごく良かった。当時まだ23歳の彼女がざっかけない関西弁を駆使しつつライブを進行するさまがカッコよくかつ可愛かった。
ライブ映像で知り得たが彼女けっこう大声でかつ高音を高らかと歌い上げておりやはりかなりの実力であることを再認識できた。

当時23歳であるからして現在は39歳でありアラフォーながら昨年は「TIME CLIP」という名盤を発信しており彼女が未だなお瑞々しい感性を維持していることも知り得て彼女の凄さを改めて感じた。わずか280円で得た温故知新。ラッキーでした。

先日のA日新聞の声欄では53歳の女性が「賢者の贈り物」について投書しておりそれはなんだろうと思って読んだところ、僕もよく知っているお話であった。
それは中学二年生時の英語の教科書の一話でその話が掲載されていた。

外国の若くて貧しいながらもお互いを深く愛している夫婦が、各々クリスマスプレゼントを調達するために夫は自慢の懐中時計を売って長いブロンド髪が美しい愛妻が髪の毛の手入れをできるようにと立派なくしを買い求めた。
かたや妻は夫の時計に合う立派な鎖を得るために自分の髪の毛をバッサリ切ってお金に替えてそれを手に入れるのであった。

自分の大切なものを手放してでも愛するお互いのために尽くそうとする深い夫婦愛を語った物語であり、当時まだ純朴だった中坊の僕はこの話にじんっときたものだった。

ところが女性の投書によると彼女が学生時代というから30年強前の頃であろうか、塾で家庭教師をしていた際にこの教科書で学習した後に学生たちに話の感想を求めたところ、

「コント?これ?」
「事前にリサーチしなきゃダメじゃん」

といった回答を得てしまうに至り苦笑したとあった。
僕が中二だったのがおよそ40年弱前でこの投書の時期は30年前。数年後の後輩たちはかくも情緒に欠ける感慨を得たのであるなあとちょっと凹んだ。

だが僕らの中にもそういうヤツがいた。やはりこの話を学習塾で一緒に受講したHくんが塾の先生から感想を訊かれた。話の最後で夫婦は互いに手をとり微笑んだのがエンディングであったので先生はなぜにふたりは笑ったのかという問いだった。
それに対してふだん空気を読まないHくんはあっけらかんとこう答えたものだった。

「だって笑うしかないよねハート

これは上記の「コント?」と一緒の感想であったなあと記事を読んで思い返したものだった。良し悪しは別としてHくんらしい答えに僕らは笑い先生は引きつっていたものだった。

この英語教材の話の序文を僕はいまでもソラで読めるのであるからして当時は勤勉だった。確かこうだ。

John and Suzan were a young couple.
They were poor、but they were very happy.
Because they loved each other very much.

スペル合っているであろうか。原作はJim&Dellaと英語の先生は教えてくれた。
和訳してこの「お互い深く愛し合っていた」に敏感に反応したのが級友のMくんでありクラスではどスケベで通っていてやや嫌われ者であったがなぜか僕になついてきておりちょっと困ったものだった。その彼が僕にしつこく言ったのは、

「ねえねえヨシタクくんハート。こいつら毎晩スゴい回数ヤッてるよねハート。5発くらいヤッてるかなあハート

当時中二で僕もオ○ニー覚えた性の目覚めの時期ではあったもののこのMくんの語りかけにはうんざりしたものだった。
噂ではMくん相当なマザコンであり母親もそのバカ息子にべったりだったそうで、Mくんはあろうことか母親から口腔性愛を受けており自分の愛液を母親が飲んだことで母が妊娠しやしないか悩んでいたとかいう話があがったりしておりビビったことがある。まさかなあ。Mくんいまどうしているであろうか。会いたくないけど。

この「賢者の贈り物」はしたがって僕にとっては名著なのであるが、きっと年追うごとにナニコレといったバカ話に転化されていったに相違ない。そもいま教科書の題材になっているのかどうかも疑問だ。
かくも義理人情愛情思いやりといった情緒つまりは人間の機微というものは薄れてしまい、世の中不義理不条理薄情理不尽なことになりつつあるのかと思うとちょっと切なくなってしまうのであった。

ちなみに物語の若夫婦が最後にお互い微笑んだというのは言わずとも判ると思うが、お互いの深い愛情を確かめ合うことができて満足したからであった。それこそが大切な贈り物だったということだ。
僕もこういう贈り物ができたらいいのであるが。まだ修行が足りないよな(-_-)。

一曲参りましょう。

 


今朝は久しぶりに自分の分もお弁当にした。

フォト

そして昨日これまた久々に筑前煮をこしらえました。

フォト

筑前煮って地元九州では「がめ煮」と呼ぶらしい。なんか九州弁って豪快ですてきです。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する