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2017年11月30日08:12

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11/23〜11/26九州オルレ・天草維和島△167m

<九州オルレ>のコースである、天草にある維和島と松島を訪れた。
<オルレ>とは、もともと韓国済州島の方言で、「家に帰る細い道」という意味。
済州島の魅力を広めるために始まった、ウォーキングコースで済州オルレとして人気を集めている。済州オルレの魅力は、海岸や山などを五感で感じ、自分なりにゆっくりとコースを楽しむところにあり、九州も四季折々の美しい風景や海・トレッキングに適した山岳があることから、<九州オルレ>として維和島や松島の他、武雄(佐賀)・奥豊後(大分)・指宿(鹿児島)・平戸(長崎)・霧島(鹿児島)・高千穂(宮崎)・宗像大島(福岡)・唐津(佐賀)・嬉野(佐賀)・九重やまなみ(大分)の12コースが認定されている。

歩き方*コースの要所には「カンセ」と呼ばれる、馬のオブジェや青と赤のリボン、木製の矢印などの標識が設置してあった。
今回、地元ガイドの案内で歩いたが、青と赤のリボンが要所要所に付けられており、迷うことはなかった。このオルレコースは、地元の観光協会の人達が、自ら山道を切り開いた所もあり、苦労が偲ばれる。民家のそばを歩くところもあり、地元の人達の理解と協力なしには、成り立たなかったと聞く。

11/23,大阪南港17時発のフェリーで、新門司港に11/24朝5:30に着いた。専用バスで九州自動車道を走り、天草に入った。大矢野島にある道の駅「上天草さんぱーる物産館」で、地元のガイドと合流した。9:20。

[天草]とは、大小120余の島々からなる諸島で、大矢野町・上天草市・天草市・苓北町からなる。上天草市の人口は2万6千人。九州本土とは、天草五橋と呼ばれる五つの橋(天門橋・大矢野橋・中の橋・前島橋・松島橋)で結ばれている。平成28年には天草五橋が開通して50年になったという。周囲を東シナ海・有明海・八代海という3つの海に囲まれている。

天草は、肥後の本土よりも島原・口之津・長崎など、肥前の国といっそう強く結び合っていた。キリシタンの時代には、それは交通の頻繁な一つの生活圏・文化圏に属すると言ってもよかった。フランシスコ・ザビエル以来、最も熱心に日本布教に従事したイエスズ会は、日本管区を下・豊後・都の3つに分けたが、最大の教徒を擁した「下」の管区は、天草を含めての備前地方であった。

天草は、天草・大矢野・志岐・上津浦・楢本の豪族{天草五人衆}が割拠していた。
中世には、いずれも海に進出し、外来文化に触れた。1589年(天正17)小西行長と加藤清正が天草に侵攻。志岐・本渡が落城。天草五人衆の時代は終わった。

<九州オルレ>、今日は維和島コースを歩き、明日は松島コースを歩くことになる。
スタートは、古墳時代前期の古墳群である「千崎古墳群」から始まった。10:00。現在26基の箱型石棺や竪穴式石棺などが確認されているという。海岸線を歩き、蔵蔵(ぞうぞう)漁港ぺ。[天草四郎が通ったかもしれない道]を歩き、高山をめざす。
旧小学校跡には11:40。ここで昼食とする。ここには昭和3年から昭和35年まで、維和小学校があり、昭和12年の児童数は男260名・女243名の計503名いたという。

二等三角点のある、高山△166.9mには12:15着いた。ここは雲仙天草国立公園の中にあって、雲仙普賢岳、三角(みすみ)岳、高杢富士の眺めがいい。

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