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2017年10月29日22:12

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今、反戦映画を作ることの悲しい現実/大林宣彦『花筐/HANAGATAMI』ほか

■三留まゆみ、とり・みき、森泉岳土が大林宣彦監督のムックにマンガを寄稿
(コミックナタリー - 2017年10月29日 16:23)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=86&from=diary&id=4835716

■大林宣彦監督「あと30年映画を作る」余命説を一蹴
(日刊スポーツ - 2017年10月28日 - 19:34)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=4834875

■大林宣彦監督「自由の尊さ」を熱弁。常盤貴子は「なんてやんちゃな監督!」と驚き
(Movie Walker - 2017年10月28日 19:53)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=98&from=diary&id=4834883

 そろそろ大林監督のフィルモグラフィーを纏めたムックが出るのではないかと思っていたら、やっぱりと思えるメンバーの参加で豪華本が出版される。長年ファンを続けてきた身にしてみれば感涙ものだ。
 監督自身が答えている通り、大林映画の殆どは、現在に至るまで自主映画、アマチュアの感覚で撮られている。そこが好き嫌いの分かれるところで、批判は商業デビュー作『HOUSE』の頃からあった。以前の日記にも書いたことなので、詳細は省略するが、賛否で言えば「否」の方が多かった印象である。スチールアニメーションや特撮を駆使した映像は、スクリーンをひたすらカオスにしていて、観客を呆然と、もしくは失笑させていた。『ブラックジャック 瞳の中の訪問者』とか、宍戸錠のブラックジャックが出てきた途端に笑われてたからねえ。

 けれども、その頃から大林映画を熱烈に指示していた人々もいる。それが、今回のムックに参加した三留まゆみや、「原田知世はいい!」で有名なとり・みき諸氏である。
 三留さんもまたイラストレーター、映画評論家として活躍しているが、元々自主映画出身で、手塚眞監督の映画でヒロインを勤めたりしていた。アイドル的人気もあって、もしも女優業を続けていたら、大林映画の常連になっていたかもしれないというくらい、大林監督をリスペクトしている。

 70年代以降、映画界は斜陽の一途にあった。各製作会社は規模の縮小を余儀なくされ、あるいは倒産の憂き目に遭った。
 撮影所システムが崩壊し、スタッフもキャストも育たなくなったため、自主映画や異業種から映画製作に挑戦する新人が次々と現れることになる。現在も続く自主映画の祭典、PFF(ぴあフィルムフェスティバル)が発足したのもこの時代である。
 大林監督は自主映画界のホープだった。映画製作会社の作る、既成のステロタイプなプログラム・ピクチャーに飽き飽きしていた観客には、大林映画の混沌ぶりが、むしろ斬新で前衛的に捉えられたのである。
 意味の分からない無駄な情報を過度に映像に映し出す手法は、ルイス・ブニュエルや寺山修司の実験映画に影響を受けたと思しい。彼らはみな、映画を「メチエ(手法)」として認識していた。だから映画によって何を表現するかというよりも、「映画で遊ぶこと」を主眼としていた。それが大方の映画ファンに嫌われた理由だろう。監督だけが映画を楽しんでいて、観客が置いてきぼりを食らったように感じたのである。

 しかし大林映画のファンはそうではない。大林映画を好きになったは、監督と一緒に、観客自身も遊ぶことを覚えたからである。
 自主映画を作ったことのある者なら理解できるだろうが、まず、実写でコマ撮りアニメ(スチールアニメーション)を作る。それを大林映画はやり続ける。
 これの何が面白いかというと、映画が実はフィルムのひとコマごとに切り取られた写真の連続に過ぎず、それぞれのコマは時空間の異なる独立した存在であることを自覚させてくれるからである。我々はあたかも映画が連続した時空間を描いているように錯覚しているだけなのだ。
 『時をかける少女』が大林監督の代表作と見なされるのは当然だろう。スチールアニメーションの中で時空をさ迷う原田知世は、まさしく切り取られたそれぞれの時空間を旅していたのだ。

 大林宣彦のデビューからおよそ40年の月日が流れた。近年も精力的に映画を撮り続けてはいるが、80年代メジャー作品を連発していた時代とは異なり、インディーズ映画として、小規模公開しかされないものが多くなっている。
 『花筐/HANAGATAMI』も同様で、福岡での上映はアジアフォーカス福岡国際映画祭での3日間のみ、それももう終わってしまった。観損ねてしまった福岡の映画ファンも少なくないだろう。知り合いもどうも全然観てないらしくて、反響を聞かない。結構宣伝したつもりだったけれど、関心を持ってもらえなかったかな。

 『花筐』は、大林監督が、癌と戦いながら撮りあげた集大成的作品であるその中身は、監督の初期の実験映画を彷彿とさせる映像のマジックのオンパレードで、これはもうファン以外には全くナンセンスな作品としか捉えられないのではないかと心配になる。
 しかし、その過剰かつ絢爛な映像の背景にあるのは、紛れもなく、強烈な反戦思想である。

 戦後70年を経て、いくつかの反戦映画の傑作が生まれている。
 今回のムックに執筆陣の一人として参加した塚本晋也監督の『野火』も、是非とも多くの観客に観てほしい問題作だった。昨年、片渕須直監督は6年の歳月を費やして『この世界の片隅に』を完成させた。傑作じゃないのも挙げれば、荒井晴彦は『人喰い』『戦争と一人の女』『この国の空』と立て続けに3本の反戦映画の脚本を書いている。

 そして宮崎駿監督は、引退を撤回して、恐らくは『風立ちぬ』以上に反戦色が強くなりそうな新作『君たちはどう生きるか』を世に問おうとしている。

 それらの映画の製作に当たっての苦労が並大抵のものではないことを、どの監督も口にしている、こんなに素晴らしい映画ならいくらでも金は出すよと言ってくれるスポンサーが現れないのである。
 『永遠の0』のような「戦争肯定映画」には出資者が現れて大規模公開がされるが、「反戦」が明確な映画には誰もが二の足を踏んでしまうのだ。ようやく公開されてもミニシアターばかり。この好戦映画の世間への受け入れられ方と、反戦映画の嫌われ方の格差は、全くの正反対でだ。

 悲しいことだかやはり「時代が変わってしまったのだ」と判断せざるを得ない。
 『人間の條件』や『戦争と人間』のような反戦映画の大作は、もう作られることはないだろう。仮に作られたとしても、シネコンにかかることはなく、やはりミニシアターでひっそりと公開、ということになってしまう可能性が大きいと思う。

 宮崎監督の新作もねえ、さすがに今度はヒットするかどうか。コメント見てると批判ばっかりなんだけど、そんなアカの映画なんか観たくないとか『ナウシカ2』作れよとか。はっきり言うけど、ジブリ以降、宮崎駿は大衆に媚びた映画は一本も作ってないよ。みんな宮崎監督の私映画。意味も分からない連中が誉めたり貶したりしてるってのは映画評論家の町山智浩も言ってることだけど、昔からの宮崎駿ファンには周知の事実だ。これまでは派手なアクションの陰に宮崎駿が潜ませた反戦その他のイデオロギーはあまり目立たなかったけれど、もしもそれをストレートに打ち出す映画を作ったら今度は観客から忌避されてしまうのではなかろうか。

 塚本監督、片渕監督は元々マイナーな映画ばかり作ってきた人だから、大規模な映画には縁がないのも仕方がない、と言われるかもしれない。しかし、大林監督は、CMや自主映画出身でも、一時期は角川映画の顔にまでなっていたメジャー映画の代表格だ。『時をかける少女』は、黒澤明の『影武者』を抜いて、当時の日本映画の配給収入28億円という新記録を打ち立てている(すぐに『南極物語』80億円に抜かれたが)。
 それが各映画会社の直営館やシネコンで上映されないのである。反戦を叫ぶことが失笑される時代になってしまったとしか言いようがない。亡国の破壊兵器の開発を、日本人のスパイが潜入して陰謀を阻止するアクション映画とかを作ったら大ヒットするかもしれないけどね。それはもうOO7でやっちゃってるか。

 「大林組」と呼ばれる馴染みの俳優たちも『花筐』には多数出演していて、それも映画を観る楽しみの一つだ。もっとも窪塚俊介や常盤貴子、山崎紘菜、村田雄治もいった主要メンバーは比較的近年の大林映画に出演してきた人たちで、80年代からの常連は、根岸季衣や入江若葉ら数人しかいない。大林監督自身投影したキャラクターを多く演じてきた峰岸徹は亡くなってしまったから仕方がないが、尾美としのりや岸部一徳はなぜ出てないんだという気になる。だかラ根岸さん、入江さんが出てくると、ああ、これは間違いなく大林映画だとホッとするのだ。入江さんは昔の入江たか子さんが演じていた役の立ち位置にいるようになったね。大林監督は少年少女の繊細な心情をえがくことに定評があるが、実は老人の機微も描かせても絶妙なのである。
 その大林映画の象徴たる美少女、今回は矢作穂香が勤めている。大林監督は必ずしも美少女ではない女の子も映像のマジックで美しく見せるのが得意だか(笑)、穂香りんは正真正銘の美少女。月光の下、輝くばかりの彼女の美しさを観るだけでもこの映画は一見の価値があるとは前の日記にも書いたか。何となく面差しが大林監督にとっての美少女のイコン、若き日のハニー・レーヌに似ている気がする。常盤貴子と一緒にヌードも疲労しているが、CG処理しているので残念ながら乳首は見えません(笑)。そんな技術のない昔なら見せざるを得なかったろうに、これも時代の進歩故です。退歩かもしれないが。
 本当に大林監督には後30年生きてほしい。そして次の新作にも、大林組の懐かしい顔に出逢いたい。『三毛猫ホームズ』シリーズだって、三部作で完結編を撮ってほしかったんだよ。

 劇場公開がない地域にお住まいの方々は、『花筐』を観るのはDVDの発売を待つしかない。けれども、もしも観られる機会があるのなら!ぜひ映画館まで足を運んで観てほしい。決して万人受けする映画ではない。しかし、非現実を積み重ねて構築された映像世界、とことん抽象化された大林宇宙に耽溺する術を身に付けた人なら、大林監督がいかにこの世界を愛し続けてきたか、そのことに想いを致すことができると思うのである。
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