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2017年10月26日11:52

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盲導犬の運命を思うと、私はカズオ・イシグロの小説(本文へ)

■盲導犬を怒鳴って蹴り上げた「八つ当たり」動画拡散で考える、虐待と訓練のはざま
(週刊女性PRIME - 10月26日 04:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=235&from=diary&id=4830214
『わたしを離さないで』を想起してしまう。かれの小説の主人公たちは臓器提供のためだけに生まれてきたクローンの少年少女たちだ。

この事件について、いまだに視覚障害者へのヘイトスピーチがあるし、盲導犬への誤解もある。しかし、なぜ私が、『わたしを離さないで』を連想するのか?いろいろな思いがあるのだが、ひとつは私たちは犬にそこまで甘えていいのだろうか?という思いがある。それは盲導犬は虐待だということではなく、現に視覚障害の人たちが盲導犬のおかげでなんとか生活していけるのも事実である、あるのだが、視覚障害の人が不自由な暮らしをおくることになっているのは、この社会の不備の問題であって、それを一方的に盲導犬というシステムで全て解決できるものではないだろう。そういう問題を一向に解決しようとしない人間たちの怠惰さのツケをこんなふうに盲導犬に背負わせたままでいいのだろうか?

世界冠たるロボット王国の日本が、オモチャのようなペット犬のロボットを作るひまがあったら、視覚障害のパートナーとしての、べつに犬型のロボットを作れといっているわけじゃなく、もっと安全に暮らしていけるツールとしてのロボットが作れないのか?


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