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2017年10月06日15:19

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18940804 NO1620 ロシア国公使ウエバ―氏の大院君に面会の件

18940804 NO1620 ロシア国公使ウエバ―氏の大院君に面会の件
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駐韓日本公使館記録 4巻 参. 露日関係 参 (15) ロシア国公使ウエバ―氏の大院君に面謁の件

文書題目 (15) ロシア国公使ウエバ―氏の大院君に面謁の件
文書番号 機密第一四四号 本八四
発信日 明治 二十七年 八月 四日 ( 1894年 08月 04日 )
発信者 特命全権公使 大鳥圭介
受信者 外務大臣 陸奧宗光

(15) ロシア国公使ウエバ―氏の大院君に面謁の件

機密第一四四号 本八四
本月二日、ロシア国公使が朝鮮王宮において大院君に面会したとのことを承知致しましたので、その後国分書記生を派遣し内々大院君に尋ねましたところその問答の顛末は次の通りでした。
ロシア国使がまず大院君が入闕して政務に参加することを喜び賀詞を述べたところ、大院君は次のように言った。
「この度日本は隣国の好意によって労費を惜しまず我が国のために尽力している。我が国はその好意に対し深く感謝するほかないのであるが、ただ日本が望んでいる改革はあまりに急激すぎるのでこれには少々当惑している。
 聞く所によれば日・清両国は既に開戦になったとのこと、両国が長く戦争を続けることは大いに東洋の平和に妨害となることであるから、なにとぞ各国の周旋によって調和させたいところである。
ここに貴公使に向って申し述べて置きたいことは、これまで貴・我両国間の交渉上、我が大君主より貴国皇帝に送った国書、あるいは我が外務督辦より正式に貴公使あるいは貴国外務大臣に送った公文を除くほかは、我が官員から送った文書のなかにいかなるものがあったとしても、それに対し我が政府は一切その責任が持てないのでこの件は前もって御承知くだされたい、云々。」
ロシア国公使はこれに対して特別な答えを与えず、最後に「李仙得*氏は有用な人物であるので御使用になってほしい」との一言を申し述べたとのことです。
ロシア国公使ウエバー氏が帰韓する前は、朝鮮政府はしきりにこれを待ち受け、もっぱら同氏の力を頼んで我が兵を撤回させようと試みていたのだが、同氏は快くこれに応諾しなかったので、朝鮮政府内の諸閔氏たちは一時失望したに相違なく、しかしながらロシア公使館の通弁 (韓人) は事変前までほとんど毎日のように王宮に出入りしていたということなので、その間に閔氏となにかの相談があったのかもしれません。よって同氏は大院君の人となりを観察かたがた、李善得を推薦してそれによって自己の便利に供しようとの考えで面談を求めたものと推測されます。
以上上申します。
明治 二十七年 八月 四日
特命全権公使 大鳥圭介印
外務大臣 陸奧宗光 殿


*李仙得(Le Gendre)
チャールズ・ウィリアム・ジョセフ・エミール・ルジャンドル(Charles William (Guillaum) Joseph Émile Le Gendre、1830年8月26日 - 1899年 9月1日)はフランス生まれのアメリカの軍人、外交官。1872年から1875年まで明治政府の外交顧問、1890年から1899年まで朝鮮王高宗(1897年からは大韓帝国皇帝)の顧問を務めた。十五代目市村羽左衛門は実子。声楽家の関屋敏子は孫にあたる。 名前はリジェンダー、リゼンドル、リセンドル、李仙得、李善得とも言う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB


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