「ふるさと喪失」の慰謝料認定
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原発は、安全・安心と説明されていた事は、間違いの無い事である。その意味でも、当然、賠償金が貰えてと考えても良いのだろうが???。
全国の学校は、挙って、ヒロシマを訪れ、原爆の悲劇・・・所謂、核の悲惨さに触れようとしている。核の平和利用は、謂わば、この核使用の不安を消していた・・・。
新技術と言われるものには、危険性があるのは、世の常なのである。
ふるさと喪失とされた方々も・・・原発の恩恵を受けて来た筈・・・そして、東日本大震災という悲劇は、未曾有の大地震とされ・・・あたかも、原発という危険性を正当なものにしている。謂わば、大地震なのだから仕方が無いという論理である。
ずばり・・・原発・大地震太り・・・現象が一部の人に起こっているのでは?と疑うし・・・貰えるものは、何でも貰えとの精神が、垣間見られるのではないか?とも思う。
東電は、最早、自力での賠償は、不可能なのである。という事は、税金・・・国民の税金に依って、それらは、賠償されているのだ・・・。確かに大地震被害者の方を含めて・・・地方の協力には、感謝してくれた・・・。何処かでは、避難難民の如く差別した地域も目にはするが・・・。ならば・・・もう少し、謙虚というものに目を向けては、貰えないのだろうか???。過疎そのものが問題になる地方に於いて・・・原子力発電所の建設は、元祖、村おこし事業と思われたものでは、あったし・・・建設地の市町村は、それなりの恩恵は、受けた筈である・・・・。ふるさとを奪われたとされるならば・・・都会と今は呼ばれる、場所に生まれ育った・・・庶民は、皆、奪われているのである。急激に都市化した場所等は・・・地元民と・・・入植してきた人間を区別している・・・(笑)。田中角栄さんの日本改造論では、そういう都会化を奨励し、賛美したでは、ないか???。
税金の不当配分化が、あたかも、起ころうとしているとしても過言では、無い・・・。ご近所にも未だに仮設住宅に住む、お年寄りがいる事を忘れて貰って欲しくは、無い・・・。
過去にも記したが、自然災害に依って、失われた命を・・・何を以て、贖うのか???。
何を怨むのか?という問題であり、それを、内存し、発露させるのは・・・人なのである。
確かに『安全なる原発』を拡散させた、当時の政治、企業・・・そして、急激な電力消費を求めた社会には、その因としての責任は、ある。
しかし、その社会を構成しているのは、人なのである。
アメリカ、台湾、オマーン等・・・当時、東日本大震災災害支援してくれた国も・・・恐らく、日本で、そういう類の訴訟が起こっているとは、想像出来ては、いないと思う。災害時に住民、国民が協力し・・・食糧配給にも・・・文句ひとつ言わず、並ぶ・・・その整然とした姿に称賛が上がった筈である。
仏教に忍辱という言葉がある・・・。しかし、今の人達は、何時まで耐える積りなのだという論理を展開する・・・。
忍辱という概念には、何時まで耐えよ・・・という・・・時の概念は、無く・・・人間の内面に何時までも持ち続けるものとされている・・・。
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