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2017年07月16日06:52

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<羽田事件50年>闘争の資料 ベトナムで展示へ



もの書きを目指す人びとへ
――わが体験的マスコミ論――

                 岩垂 弘(ジャーナリスト)
  
   第2部 社会部記者の現場から

 第60回 第一次羽田事件の衝撃――七〇年闘争の幕開け
http://www.econfn.com/iwadare/page168.html














http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4668859

1967年10月、ベトナム反戦運動の最中に一人の男子学生が死亡した。京都大文学部1年、山崎博昭さん(当時18歳)。東南アジアなど5カ国外遊の行程で南ベトナムを訪問する佐藤栄作首相(当時)の出発を、実力で阻止しようとした学生たちが、羽田空港に通じる三つの橋の上で警視庁の機動隊と衝突した「羽田事件」で犠牲になった。日本が揺れた70年安保の出発点とされるこの事件から、今年でちょうど半世紀。ベトナム政府の協力を得て、山崎さんの遺影や当時のベトナム反戦運動に関する資料約200点が海を越え、8月20日から10月19日まで、ベトナム・ホーチミン市の戦争証跡博物館で展示される。【岸達也/統合デジタル取材センター】

 ◇新左翼の学生らと機動隊衝突 羽田空港近くで首相の南ベトナム訪問阻止図った

 事件が起きたのはベトナム戦争の真っただ中だった67年10月8日。北爆が65年に始まり、日本でも作家の小田実氏や哲学者の鶴見俊輔氏らが結成した「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)によるデモなどが行われ、反戦運動が高まりを見せていた。

 そんな中、佐藤首相の南ベトナム訪問阻止のため、新左翼の三派全学連の学生らが共闘して羽田空港への突入を計画。止めようとする警視庁の機動隊と、激しく衝突した。

 事件を報じる当時の毎日新聞によると、集まった学生側は約3000人。一方、警視庁の機動隊員は約2300人。空港に隣接する海老取(えびとり)川に架かる三つの橋の上で攻防が繰り広げられた。学生たちは機動隊員に投石し、橋を封鎖した警察車両に放火して、空港への突破を図った。この混乱の中で、山崎さんは橋の一つである弁天橋上で、頭を強く打ち死亡した。

 明治以降、最大の大衆運動とされる安保闘争は、60年と70年の2度にわたって日本を揺さぶった。60年安保では、国会に突入を図った学生デモに加わっていた東京大学文学部4年、樺美智子さん(当時22歳)が、警察との衝突で死亡。羽田事件は70年安保の先駆けとされ、山崎さんは樺さんに次ぐ安保闘争での2人目の死者だった。

 「警視庁年表」によると、羽田事件では衝突で機動隊側も1100人を超える重軽傷者を出し、学生側は公務執行妨害容疑などで58人が検挙された。警視庁は、山崎さんは学生が警察から奪って運転した警備車両にひかれて死亡したと発表。車を運転したとする学生も逮捕したが、その後、不起訴となった。学生側は「山崎さんは、機動隊員に殴られて死亡した」と強く反発した。結局、山崎さんの死の真相は明らかになっていない。

 ◇事件で亡くなった山崎博昭さんの同窓生らが企画 反戦運動の写真やビラ展示

 展示会は「ベトナム反戦闘争とその時代」というタイトルだ。山崎さんの高校、大学時代の同窓生や同期生を中心とする「10・8山崎博昭プロジェクト」が企画した。山崎さんの高校の同窓生で、東大闘争全学共闘会議(東大全共闘)の元代表、山本義隆さん(75)をはじめ、元衆院議員の弁護士、辻恵さん(69)、詩人の佐々木幹郎さん(69)らがプロジェクトの発起人に名を連ねた。いずれもベトナム反戦運動にかかわった当事者でもある。

 事件から50年を前に山本さんらは昨年、東京と京都で資料収集を兼ねて同展を開催したところ、若い世代の入場が目立った。並行してベトナムでの開催に向けて、インターネット上で展示会の計画案を公表して寄付金を募るクラウドファンディングを実施し、開催費用約150万円が昨秋集まった。今年3月には実際に、会場となるベトナムの博物館を訪れ、館長らと展示について打ち合わせをしてきた。ベトナムでは博物館の関係者であっても、日本で行われたベトナム反戦運動で、日本人学生に死者が出たことは知られていなかったという。

 展示会場では、事件当日の弁天橋での衝突を撮影した写真に加え、日本でのベトナム反戦運動と70年安保闘争を振り返る資料をベトナムの人々や訪れる観光客らに見てもらう。砂川基地拡張反対運動や三里塚闘争などの記録、日本国内の米軍基地で反戦米兵たちが配布したビラや機関誌のほか、各地の大学で反戦ビラ作りに使われたガリ版印刷機、学生たちがかぶったヘルメットなど約200点が展示される予定だ。多くは60年代後半から、ベトナム戦争が終結した75年にかけて、国内で使われていたものという。

 ◇展示物集めた元東大全共闘代表、山本義隆さん「70年安保闘争の出発点だった」

 展示物の収集に当たった山本さんは「羽田闘争が70年安保闘争の出発点だった」と振り返る。当時、日本では脱走米兵を旧ソ連経由で北欧に逃がしたり、米軍基地内の米兵に米軍解体を呼びかけたりといった活動を一般市民がやっていた。東西冷戦下、激動する世界情勢の中で「日本でも国際性を反映し、多面的で重層的な反戦運動が全国で行われていた。そんな時代の中に70年安保があったことが分かる展示内容を目指した」と話している。
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