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2017年05月25日12:07

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「排外主義」は中韓民族!

■津田大介「ニュースのコメント欄で広がる排斥意識」
(AERA dot. - 05月20日 16:02)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=4581544

『アメリカ人だから断言できる。日本人と彼らはまったくの別物、全然違う』ケント・ギルバート著「儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇」(講談社+α新書)が三〇万部を突破、ベストセラー快進撃!有名書店で上位になる。

「シナには平等はあっても自由はないから,そこに生れる統治形態は当然に専制政治である」
http://m.youtube.com/watch?sns=gr&v=gLmYqvaqVm4
「彼らは機会ある毎に人を瞞(だま)すので有名である」
「この民族の著しい特徴は,彼らが凡そ精神に属する事柄に,すなわち自由な人倫とか,道徳とか,心情とか内的な宗教とかに欠けている」
「というのは,客観的な存在と,それに対する主観的な運動との対立がまだないために,変化というものは一切なく,いつまでも同一のものが繰り返して現れるという停滞性が,われわれが歴史的なものと呼ぶものに取って代っているからである」
「主観性の契機,いいかえると個別的意志を絶滅する力である実体に対する個別的意志の自己反省の面は,或いはこの力が個別的意志自身の本質として立てられ,個別的意志がこの本質の中で自分を自由として知るという面は,ここにはまだ存在しない」
「普遍的意志は全個別的意志によって文句なしに受け入れられる」
「このシナにおいては,普遍的意志は,すなわち個人が何をなすべきかを言い表しているものであり,したがって個人は無反省的に,没我的に,これを遵法し,これに服従する」
「もし個人が服従しない場合,すなわち個人が実体の枠を踏み越える場合にも,この逸脱は自分の内省に基づいて行われたものではないから,個人は内面性(道徳的心情)によって制裁されるのではなくて,外面的なものによって制裁をうけるにすぎない」
「われわれの処では人間は,ただ法律の前においてのみ平等であり,財産の所有の面で平等であるにすぎない.またその外にも,自由がわれわれにとって存在すべきかぎり,人間は保証されねばならない多くの利害や特殊性をもっている」
「けれども,シナにおいては,これらの個々の利害も,それ自身としては認められない」
「懲戒の場合には犯罪防止の根拠は単に罰に対する怖れであって,不正に関する内面的な意識ではない.というのは,ここではまだ行為そのものの本性に関する反省は前提されていないからである」
「また,そこには名誉心というものもなく,何人も他人に比べて特別な権利をもつというわけでもないから,自然に卑屈の感情が一般を支配することになり,それはまたやがて自暴自棄の意識に移って行く」
「シナ人の甚だしい不道徳は,この自暴自棄と関係しているのである」(G・W・F・ヘーゲル「歴史哲学」岩波文庫)

〔フレデリック・V・ウィリアムズ記者「Behind the News in China」〕
「私はサンフランシスコの新聞記者をしていたころ,暗黒街のアヘンが,アジアから米国に運ばれ,米国内の支那人の手に入ってゆく径路を調べたことがある.そして後年,支那および満州において,それが生産,販売されるルートを覗いた.まづ第一に指摘すべきことは,近年,支那人にアヘンの用法を伝授したものはいない,といふことである.支那大衆は始めから,その用法を心得ていた」
「諸君がアジアに住み,支那商人から物を買う時,同じ品物の値段が幾とほりにも変化するのを知るであらう.アジアに住んだことのある諸君は,支那人が最初に言ふ値段どほりには決して買はぬであらう.すなはち,その商人と交渉し,さんざんに値切り倒す.さうすると彼らは次第に値を落し,最後には,最初の値段の1/3か1/4になつてしまふ.要するに支那人の生活は,幾百年もの間,烈しい闘争の生活であつたため,金が彼らの神になつてしまつたのである」
「しかし日本人一般については,約束は正直に守られ,一つの国民性にもなつている.そして,かういふことは,支那人には絶対に当てはまらぬのである」
「もし諸君が支那で商取引をする場合,信用できる署名をもらひ,その契約を租界内の裁判所に保証してもらはねばならぬ.さもないと,その契約は何の価値も持たない.すなはち,諸君は自分が正当な論拠を持っているといふことだけでは頼りにならぬのであって,もし今の支那に法律があるとすれば,必ずや法律上の手続きを根拠とするか,または実力を行使できなければならぬ.その時はじめて,諸君の主張が通るのである」
「しかし一般の日本人との契約ならば,署名さへも要らぬことがある.それは,日本語にいはゆる「義理」のごとく確実だからである」
「支那は,子どもにとつての地獄である.ことに,子どもが女子ならば,よそに与へられ,あるひは奴隷として売られる.また支那には,飢えや凍えのため死ぬ外ない棄児を収容する外国の使節があるが,しかしそれでも,生れたばかりの赤ん坊が無慈悲にも路傍や慈善施設の入口に放置されたり,あるひは家族が多くて養ひきれぬため河の中に投棄されたりする.これに対し,日本は子どもにとつての天国である.日本では児童虐待は犯罪である」

在○はゴミ集団は対日犯罪を正当化!
http://m.youtube.com/watch?v=PHe4PelLkTM&sns=gr
[在○が対日犯罪,反日テロを正当化する最近の例:「米」収奪伝説]
「まずもって朝鮮半島の穀物生産に関しては,朝鮮総督府の農業政策によって朝鮮史上類を見ない収穫高をみるのである」
「輸出の推移が米の収穫高の激増によって,いかに伸びていったかを数字で表せば,一九一〇年の併合年に一一万石だった日本への米輸出が,一九二八年には七〇六万石,一九三三年には七四二万石となっている」
「この急激な輸出は,昭和初期の日本の米相場にも影響を与え,一〇〇〇万石の余剰米を出した当時の日本政府は米輸入の制限を行い,また米の価格暴落を防ぐため朝鮮・台湾の両総督府の間で米穀協議会を開かなければならないほどであった」
「また,当時の朝鮮半島の人間の主食に該当する穀物は米ではなく雑穀であり,薄いおかゆのようにして食べていた」
「こうした状況の下で,米の収奪など起こりうるわけも無い.正当な貿易として米が朝鮮から輸出され,時には半島における米の備蓄などを懸念した朝鮮総督府が米の輸出を止めるほどの事態を起こしている」
[在○が対日犯罪,反日テロを正当化する通例:「土地」強奪神話]
「李朝時代の朝鮮農民は,最低限度の取り分さえ認められず両班などによる搾取の対象でしかなかった」(桜井誠、他「嫌韓流・反日妄言撃退マニュアル」晋遊舎)
[アメリカ史家による韓○捏造史観への反証]
「日本の植民地統治下における朝鮮の土地所有権1900-1935(1994)」
である」
「朝鮮総督府が作成した「土地台帳」(1914年)と「土地所有権証書」(1917年),そして「地籍図」(1910~18年)である」
「これらを使って,グラゲートは五つの村落をケース・スタディとして,李氏朝鮮から統治時代の終わりまでの土地所有の移り変わりを明らかにした.その結論は,併合後から1918年までの間に,朝鮮人民から日本人および日本企業に大規模な土地譲渡は行なわれていない」
{ギーウク・シン・スタンフォード大学助教授「植民地朝鮮における農民運動と社会変動」}
「総督府の小作保護制度に不満を持ち,先行きの不安を感じた地主の一部が,自らの資本を工業への投資に振り向けたのである」(『見直される朝鮮統治の暗黒史観』ジョージ・アキタ・ハワイ大学名誉教授「諸君!」2006.4)
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