mixiユーザー(id:18155848)

2017年04月26日14:56

565 view

古代神ミトラ、インドラ、ヴァーナル合体意識復活💕ということで。

闇に葬られた古代神の黒歴史
テーマ:精神世界/ニューサイエンス
いいね!(5)
この文章は、2015年1月25日、高円寺ペンギンハウスにて行われた、プレスターズの「国家緊急事態シンポジウム」における、宇宙意識ΑΩの音霊と言霊を元に書かれております。

フランス人からの質問。日本には悪魔はいるか?

悪魔と名乗るミュージシャンはいますが、キリスト教でいうところの悪魔はいません。
まあ、近い存在として「鬼」や「阿修羅」がいますが、じつは、「鬼」や「阿修羅」は、西洋の悪魔とルーツが同じなんですよ。
鬼も阿修羅も、インドから大陸経由で輸入されました。インド・イラン神話の古い神様「ヴァルナ」がその起源でしょう。ヴァルナは宇宙の秩序と人類の倫理を支配する最高神で、アスラ族を率いていました。
しかしインドでは、時代が下ると、ヴァルナの地位はどんどん下がっていき、アスラ族も悪魔と見なされるようになります。

このヴァルナがどうして鬼になったかというと、インド・イラン神話には、ヴァルナと並ぶ最高神=ミトラというのがいまして、セットで「ヴァルナミトラ」と言ったのが訛って「ウシトラ」になったという説があるんです。
というのも、ヴァルナの象徴は牛の角(後述)ですから、干支の丑寅、つまり艮=鬼門を意味するようになったと。
鬼門の思想は、中国から伝わった陰陽道に由来しています。
鬼は牛の角と虎のパンツを履いていますよね。鬼のイメージは、平安時代あたりに確立したといわれますが、それは陰陽道が宮廷だけではなく、一般に広まった時期と一致しているんです。


牛と蛇の象徴=ギュージャリズム

とは言っても、神から鬼への変貌はヴァルナ神の黒歴史であって、一般的にヴァルナは仏教に採り入れられて「水天」になったとされています。これはヴァルナの属性のひとつだった「水の神様」に由来していますが、それは、ヴァルナがもともと自然崇拝の神だったことを意味しているんですね。
自然崇拝の神の象徴は「牛」と「蛇」で、牛は男性原理、蛇は女性原理を表しています。
男女が結合すると子が生まれるように、世界の創造神話に欠かせないのが「牛」と「蛇」のシンボリズムなのです。

例えば、日本神話の八岐大蛇を退治したスサノオの話などは典型的です。
一見、ヒロイックな神話なんですが、多くの神話がメタファーであるように、この物語も、結果としてスサノオが奇稲田姫を救い結ばれ、出雲王朝を築くという国生みのストーリー=創世神話なんですね。
ここで注目すべきは、八岐大蛇が「蛇」であり、スサノオは仏教の牛頭天王と同一視される「牛」であるということです。

この話によく似ているのが、古代バビロン神話のマルドゥークという英雄神がティアマトという女神を殺害する話です。
マルドゥークの名は「太陽の牛」を意味しています。ティアマトは全ての神々の母なのですが、巨大な蛇だったという説があります。やはり、この話も創造神話で、マルドゥークはティアマトの体を引裂き、世界を創造する。
こうした「牛と蛇の象徴(ギュージャリズム)」は、多神教の特徴でもあるのですが、一神教の台頭により、そうしたシンボルは悪魔の象徴へと変えられてしまうんですね。


西洋の悪魔の根源=バアル

悪魔は角を生やしていますよね。よく描かれる悪魔の絵は山羊の角ですが、ギリシャ神話のパーンのイメージから来ているとか、キリストが羊飼いだったから、おとなしい羊の対照概念として、気性の荒い山羊がモチーフにされたなど、諸説ありますが、元は牛の角だったようです。

悪魔の角は山羊か牛か?その謎については、また別の機会に触れますが、旧約聖書に登場するヤハウェの敵=バアルという神は、牛の角の付いた兜を被り、矛と稲妻を握りしめています。このバアルはシリア地方の嵐の神様なんですが、一神教のユダヤ教から見れば悪魔になりますよね。
じつは、バアルのルーツはヴァルナ神だったんです。(ヴァルナのヴァルがバアル)

バアルの世姿で有名なのは、ルーブル美術館蔵のバアル人形ですが、頭に生えているのは、牛の角ではなく、勃起した牛のペニスです。おそらく牡牛の男性原理を強調したものだと思われます。
この人形のポーズですが、矛を振りかざしている様が、右手を天に向け掲げているように見えますね。このポージングは、神のポーズとして、後世に大きな影響を与えていると考えられます。

バアルのポーズ


フリーメイソンもレディ・ガガもバアル・フォロワー?

この絵を見て下さい。キリスト教の有名な悪魔「バフォメット」も同様のポーズをしていますよね。
バフォメットはテンプル騎士団が崇拝した悪魔だと云われていて、そのせいで騎士団は国王と教会勢力によって壊滅させられてしまいます。
なぜテンプル騎士団がこうした悪魔を崇拝したのか分かりませんが、おそらく騎士団の権力を潰したかった国王の流したデマだったと思われます。でも、火のない所に煙は立たずで、おそらくですが、騎士団は中東でバアルに出会ったんじゃなかろうかと。もちろん悪魔が現実に存在したという意味ではなくて、神の「知らされざる黒歴史」を知ってしまったということでしょう。
それは敬虔なクリスチャンにとって衝撃だったことでしょうね。なぜなら、神の子であるイエス・キリストもバアルやバフォメットと同じポーズをしていたからです。

さらに、アメリカの国会議事堂に置かれる予定だった、ジョージ・ワシントンの像もバアル、バフォメットと同じポーズをしています。
ジョージ・ワシントンといえばアメリカ建国の父ですが、彼は高位のフリーメイソンですし、フリーメイソン自体がテンプル騎士団の残党がスコットランドで結成した秘密結社なのですから、関係は明らかです。
ちなみに、このワシントン像は、オリンピアのゼウス像をモチーフにしているのですが、ゼウスは嵐の神バアルと同一の神だと考えられているのです。

この他にも、釈迦の天上天下唯我独尊、長崎の平和記念像、自由の女神、コロムビア・レディ、レディ・ガガ等が同様のポーズをしています。

ワシントンとバフォメット
デビルマンレディガガ



ドラゴン、アシュラはヴァルナの化身

さて、もうひとつの象徴「蛇」も西洋では、人類を失楽園に追いやった「悪魔」の化身ということになるんですが、レプティリアンなる爬虫類人(エイリアン)が古代の地球にやって来て、人類を創造したが奴隷化したという珍説なんかも、現代の神話におけるギュージャリズムでしょう。

西洋で悪魔に近い存在といえばドラゴンですよね。
あれって「角を生やした蛇」じゃないですか。完全にギュージャリズムの権化なんです。
東洋の竜は西洋のドラゴンとは違い、超自然的な存在で、どちらかというと神様に近いし、悪魔的な存在とは限らないんですが、ルーツはドラゴンも竜もヴァルナなんです。
ヴァルナは東洋で水天になるわけですが、水天の祀られている神社によく竜神様がいたりしますよね。
東西で解釈の違いはあるものの、最古神ヴァルナは悪魔や鬼の起源であり、ドラゴンも例外ではないんです。

ちなみに、阿修羅はアスラ族のことで、ヴァルナはアスラ族の頭領でした。
ゾロアスター教の最高神であるアフラ・マズダーのアフラも、このアスラのことですよ。

阿修羅は仏教で天部(仏教の守護神)のメンバーでしたが、修羅界へ追われ、帝釈天に復讐を誓い戦いを挑み続ける魔神になってしまう。元々は正義を司る神でしたが、正義に固執し続けた為、善心を見失い妄執の悪魔となってしまったんですね。

最近、いわゆるイスラム国というのをニュースで聞かない日はないくらいですが、中東における負の連鎖が生み出したイスラム国は、まさに「修羅の国」といえるのではないでしょうか。
しかも、イスラム国勢力の拠点が、かつてのバアル神のメッカだったシリアなのですからね。
ちなみに、ISISは古代エジプトの女神イシスと同じ名前ですが、キリスト教がローマで国教となる前は、イシス信仰も盛んだったようで、イシスのシンボルも牛だったみたいですね。
この数奇なシンクロは、神話の世界が単なるおとぎ話じゃないってことを裏付けているような気がしてならないです。
だから、我々は浮世離れした世界観を歌い続けているんですよ。
神々の世界も、我々の住むこの世界も、じつはどこかでリンクしているんだと感じます。


ミトラの大出世

インド・イラン神話で、ヴァルナと並んで最高神とされたのがミトラです。ミトラは友愛と契約の神で、ヴァルナとは表裏一体ともいえる対等な関係でしたが、ゾロアスター教がヴァルナを最高神のアフラ・マズダーにしてしまったことで、この関係に亀裂が生じました。
ナンバー2のミトラは嫉妬に火が回り、燃えさかる太陽神となった…かどうかは知りませんが、その後のミトラは太陽神として最高神の地位にまで登りつめます。それがミトラ教で、今日のキリスト教の前身とも呼べるものでした。
クリスマスはイエス・キリストの誕生日だとほとんどの人は信じているかもしれませんが、それにはまったく根拠がなく、ミトラの太陽信仰のお祭りが元になっているというのが事実なんです。
でも、ミトラのことなんか現代人は全然知らない。なぜかというと、太陽があるなら月がある、星があるってことで、多神教を認めることになってしまうからです。せっかく一神教になったキリスト教が、じつは太陽神だったという秘密を隠す必要があったんです。
一方、ヴァルナの方はどうかというと、後続の神々にどんどん地位を奪われ、ついには阿修羅や鬼になっちゃったというわけです。


イスラム教の正体

西欧米とアラブの対立を、キリスト教とイスラム教の一神教同士の覇権争いだと考える人もいるでしょう。
しかし、同じ神を崇拝しているなら、争う必要などないはずです。
むしろ、キリスト教の神とイスラムの神は別の神だと考えた方が筋が通らないでしょうか。
では、その神とはユダヤ教の神ではないのか?ヤハウェではないとしたら何者か?
私の解釈では、キリスト教の神はミトラで、イスラム教の神はヴァルナです。
キリスト教が太陽信仰=ミトラ教のプロトタイプであったことは先に説明した通りですが、イスラム教は聖地カーバの月の石を拝んでいた星信仰の末裔たちなわけで、やはり根本は多神教なんですね。

そもそもアラブの神々は太陰暦を生み出したシュメールやバビロニアといったメソポタミア文明を起源とする多神教の国々ですから、日本の八百万の神のように360もの神が崇拝されていました。
イスラム教もキリスト教と同じように、その出生の秘密をベールで隠してしまったんじゃないでしょうか。
ただ、多神教の神話をどんどん同化させていったキリスト教とはやり方が違っていて、偶像を徹底的に排除し、多神教の痕跡を根絶させるというのがイスラム流ですね。

しかし、その象徴だけは残りました。それがイスラム教のシンボルである「月」なんです。
ヴァルナの名は「バアル・ルナ」ですから、ルナ=月の神格と読み取ることができるでしょう。
ですから、十字軍から現在まで続くキリスト教とイスラム教の確執は、ミトラとヴァルナのすれ違いみたいなものをきっかけに生まれた悲劇で、もともとミトラとヴァルナは共にあるべき存在なのです。


今こそ艮(ウシトラ)

2つの神が決裂したままだと、宇宙のバランスは保たれません。狂った軌道は元に戻さなければいけませんよね。
神とは宇宙の法則性のようなもので、動物や植物は大自然の法則に従って生きていますから、軌道を逸れることはありませんが、人間はそういった法則に逆らってしまっている。宗教が悪いとはいいませんが、神隠しの隠蔽工作が裏目に出たというか、人類を宇宙から孤立させるという結果に繋がってしまったということなんですね。

ヨーロッパの伝統では、冬が終る2月の時期に、太陽の丸い形を意味するクレープが食されます。シャンドラーと呼ばれるようですが、それは、冬の寒さと闇を恐れた古代ケルト人の風習で、光の再来や豊穣を祈願した「水を清める儀式」が元になっていると云われています。
そして日本ではこの時期、節分で「鬼は外、福は内」とやりますよね。
こうした季節の節目に行われる伝統行事は、人類が大自然の法則から逸脱しない為の古代人の知恵だったのではないでしょうか。

鬼のルーツがヴァルナであると知った以上、外にまで出て豆を撒いたらダメでしょう。
とくに日本という国には、キリスト教が忘却の彼方に押しやったミトラ=太陽神が息づいているのですから。
ヴァルナとミトラの合一は、ウシトラ=鬼門へと通じる鬼道。
鬼道を修正することこそが、軌道修正なのです。

【国家緊急事態シンポジウム 2015年1月25日 高円寺ペンギンハウス】

4 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する