高畑勲監督「『火垂るの墓』では戦争は止められない」必要なのは理性
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作品とかで戦争の惨さとか表現しても、結局のところ演出として捉えられるだけに終わる。
惨さを知っていれば、戦争や争いがおきなのか?というところも疑問に思う。
人はなぜに争いをするのか?という点をそもそも考えないといけない。
それは戦争だけにターゲットを絞ってるようでは意味はないと思う。
いじめや個別だろうと争いはあります。
大抵は話し合いというか折り合いがつくから、まあそこまで醜いところまでいかないが・・・
折り合いの付かないとかなると、場合によっては酷くなる。
それが、国家間になると戦争という形態をとるわけである。
理性なんかあっても、それぞれ守るべき利益や物事がある。
だれか神様が仲裁してくれるならまだしも、だれも仲裁なんか出来ない。
当事者同士だから意見のぶつかりあいや衝突になる。
この辺って国会でもそうじゃない。
自分の意見が通らないとなると、暴力やもろもろ繰り出しあたりがね。
作品作ればとまるとか、荒唐無稽な話だが
結局日本向けに作ったところで意味はないのも事実だろう。
国によって価値観が違うし、そもそも環境だって違う、捉え方も違う。
見れない人なんてものすごい人数が居るだろう。
見てる人なんて数なんてたかが知れてる。
理性なんかあっても、究極的選択のまえでは意味をなさないだろう。
極限状態での判断は、理性がというよりも生きるか死ぬかのどちらかであろう。
いろんな条件はもろもろあるから、結局のところ難しい。
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