周囲に不快な思いをさせないのがマナーです。
何処からがマナー違反とかって話ではありませんよね。
そういう意味合いでは、何処からがマナー違反?という疑問が出る時点で誤りなのかと。
ガラガラの電車でリュックを前に背負う必要は無く、込んだ電車でリュックを前にせよ後ろにせよ背負っている段階で、周囲に不快な思いをさせているという話ですよね。
そもそも、通勤ラッシュ時にでかい荷物を社内に持ち込む時点でマナー違反です。
ただ、マナー違反であっても、そうせざるを得ない状況と言うのもあって、そういう時は、マナー違反を承知で、その行為を行いますよね。
その際に、不快に思った人が、何か言っても、
申し訳ありません。
以外の言葉は出ないと思うんですよね。
そこで、何!!!!と思う時点で、マナー違反をしている自覚がないのでは?と思います。
自分にとって仕方が無い事であっても、相手からしたら許容範囲を超えているのは当たり前の話で、相手の度量の狭さを論じても無意味でしょ?
逆に、それを言うのであれば、満員電車に乗る人全員が、登山張りのリュックを背負っていたらどうなります?
そこで初めて全員がお互い様って言える状況になるのですが、何で迷惑を掛けている側が、お互い様と思ってしまうのか。
マナーとは、周囲を不快に思わせない行動・態度。
マナー違反をせざる得ない状況もありえる。
その場合は、周囲の批判を受け入れる。
これだけの話ですよね。
周囲の批判を受け入れられないのであれば、マナー違反をしなければ良いだけです。
とても微妙な話ですが、少しづつ自己中の定義が変わっているように思えます。
その微妙な自己中心的な考え方が、マナーの定義を歪めているのではないのでしょうかね。
美術館で怒鳴る爺もうるさいですが、自分達は気にならなくても、囁くような声も耳障りだったりします。
必要最小限の発生であればまだしも、ずっと囁くような声が続いていたら、うるさいと思いますよ。怒鳴るかどうかは別問題ですが。
食事時、食べ方が汚いのは気になります。
ペチャペチャ、クチャクチャ音を立てながら食べる。
ボロボロと零しながら食べる。
何故かから揚げを手づかみで食べる。
等々、人によって眉を顰めるポイントは変わります。我慢が出来なければ口にする人も居ますし、口にしないまでも一緒に食事をする事を遠慮する事もあるでしょう。
箸もその一つですよ。
クチャラーは許容できるけど、箸マウンティングは許せない。
こういう話ですか?
箸が正しく使えない日本人を見るとイラッとします。
それが良い年をした大人ならなおさらです。
コース料理を頂く際、外側の物から使うという一般常識があり、そこを見当違いの物を使うと眉を顰めてしまうのと同じなんですけどね。
それを指摘するかしないかは別の話ですが、出来て当然の事が出来ない人が何で偉そうな態度が取れるのか、とても不思議。
これも微妙に自己中の話なのかと。
楽しく食事をしている最中に、些細なことで場の空気を乱す人も如何なものかと思いますが、その原因を作った側が、相手の度量の狭さを責めるのは、お門違いですよね。
最初に一言、
私は、箸の使い方がなってなくて恥ずかしいんですよね。
と言ってしまえば、そうはならないのでは?
そこで、箸指導が入っても、行き過ぎれば周りが止めますよ。
止められた当人だって、それ以上言わないでしょ?それを指摘を受けて逆切れするから、面倒な話になるんですよ。
でかい荷物をもって満員電車に乗るのを不快に思う人が居る。
永遠とひそひそ声で話し続けるのを不快に思う人が居る。
箸使いがなってない人を見ると不快に思う人が居る。
それに対して、自分の都合でそうせざるを得ない状況があり、そこの指摘を受けたのであれば、
すいません。
って一言うのが、マナーなんじゃないのでしょうか?
■マナー違反ってどこから?「いい人ですアピール」を考える
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=116&from=diary&id=4498183
人によって捉えている定義が異なるため、容易に使われがちな言葉がある。たとえば、「マナー」もそうだろう。
「教えて!goo」で「マナー違反といわれるけど、勘弁してほしいこと」と疑問を寄せる質問者さんがいた。電車の中で、重そうな登山リュックを背負っている人に「邪魔だ。前で持て」と怒鳴られている人を見たという。質問者さんは「リュックは重く、前掛けで持つのは大変だろう。前掛けがマナーだとうるさく言われているせいかもしれないが、ケースバイケースでは」と感じたそうだ。
質問者は続けて「自分で考えて判断することができない人が多いように思う」と、周囲の状況や出来事を目にしては憂いているようだ。他にも、果たして「マナー違反だ!」と言われも、「それはどうなんだろう?」と考えてしまうような事例はあるだろうか?
■「『私は気を使っているいい人ですよ』アピール」がしんどい
「友達と美術館へ行ったときに、小さい声で話していたら知らない老人男性に『うるさい!』と怒鳴られました」(gtamo2さん)
考えてみれば、小さな声で話をしているよりも怒鳴る声のほうが大きいだろう、というブーメランのような案件だが、gtamo2さんはこの老人男性の心理を「行き過ぎた『私は気を使っているいい人ですよ』アピール」と例える。つまり、「俺は言ってやったぜ」と言いたいがための行動であって、同じことをしたいのなら、「口に人差指をあてて伝える」という方法もある。結果にフォーカスせず、プロセスに照準を合わせているせいかもしれない。
■箸の持ち方で難癖をつける
「箸の持ち方が正しいかどうかや左利きであること」(05051036さん)
幼い頃に箸の持ち方を矯正された人もいるのではないだろうか。これはあくまで憶測だが、食卓のスペースが狭くて隣り合う場合は、全員が同一方向の姿勢のほうがぶつかり合わなくていい……という事情があったのかもしれないが、現代はそれほどきゅうくつな食事の場も少ないように思う。
05051036さんはマナーにうるさい人に限って「人間性や思いやりとか親のしつけといった言葉も付随して語りますがね…」と、ため息をつく。やはりこれもgtamo2さん同様の「アピール」に近いものがありそうだ。
■お互い様の許容範囲が狭くなっている
「自分はマナーは大多数が許容できる事が一番で 次にお互い様だと思っています」(one12さん)
近ごろは「お互い様」の許容範囲が狭くなったと話すのはone12さん。世論の流れや主張の強い人に合わせていった向きもあるだろうが、SNSの発達に伴ってか「監視社会」というワードも出ている。いつ自分が迷惑をかける側に回るかわからないからこそ、どこか「お互い様」の精神を持って接するのは大事なことではないだろうか。
まずは「マナー」を盾に、我の強い主張を通すのは大きな不快感を生む可能性があると、「アピール勢」に理解してもらわなくてはならない気もするが、いかがなものだろう。
教えて!goo スタッフ(Oshiete Staff)
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