mixiユーザー(id:13658569)

2017年03月26日00:05

286 view

「愚連隊」維新の本性がもたらすもの。

第一印象。
安倍の場合と同じく、「知性のない政治家は、詰め寄られると本性が出る」の典型ですな。

安倍の場合、普段から知性があるように繕っている、背伸びしている分、
詰め寄られるとうろたえる、表情に出るなど実に単純で、苦労知らずのボンボンゆえ
修羅場をくぐっていない経験不足がよく表出する。

それと比較して松井の場合は、元々が育ちの悪さゆえに、詰め寄られた時には
こうした「腹の座った開き直り方」をし、尚且つその様相そのものは
「なんぼのもんじゃい、われ〜!」ってやつで、ワルであった経験・下地があるからに
他ならない、と。

党として観るならば、今や松井のみならず党員や党全体が「暴力団事務所」と化してるってのは、
党員の数々の素性や悪行三昧を眺めれば言わずもがなで、その辺は党が分裂し、
大阪維新として再始動したことで、その辺りがくっきり鮮やかに浮き彫りになった・・
ってことでしょうな。

その点では、かつて属していた東京サイドの党員は、その辺りをよく思い知ったってことだろうし、
逆に言えば、維新なんてのはかつての党員勢力がいたおかげで
どうにかこうにか本性を見え難くしてくれていた、薄まっていたってことだろうと。

その維新に、下野時代の安倍と菅義偉が、次の選挙で敗退した暁には
維新入りを予定していた・・という話からしても、育ちは真逆であるも、
本性という部分では橋下や松井らと相共通する部分があったというのは、
結果論だけではなく、その後現自民と維新が共鳴・共闘する所によく表れている。

しかし、この森友問題の顛末であからさまになったのは、
よく言えば「人情の街・大阪」のDNAを強く持った大阪維新がどうにか与党を
「情を背景に」援護しようとしたものの、問題が明るみになり次々と事実が暴露する過程で、
早々と大阪行政に責任をなすりつけた『東京育ちの与党』の薄情さを前に、
大阪気質の愚連隊・松井らが反逆の態勢に転向しつつある・・って構図が見え隠れすると。

但し、後ろで指揮する橋下がいないと実質機能しないスッカラカンの維新は、
あからさまな喧嘩をせず、別な手段で乗り切るべく模索をしている様相が
この短期間の動きの中から見え隠れするのは、まさに橋下の指令を待ったり打ち合わせ協議し、
足並みを揃えんとする中での「タイムラグ」で、ツィッター等で発信するタイミングと
内容がほぼピタリと合致しつつ、一斉発信の如く放たれる辺りに、
政党自体の自立性欠如や未熟さ、幼稚性というのがよく垣間見える。

こういう、ある種の「わかりやすさ」、よく言えば「ヒューマンライク」な部分が、
大阪庶民のツボにハマるのだろうし、いわゆる「スカッとするやり口」の政治を持ち味にする辺り、
下町や大阪の特性を巧く取り込んでるっちゃあ取り込んでるわけでもあり。

しかし、とはいえまっとうな庶民だって多く居るであろう大阪や関西にあって、
わかりやすい二極化や、それに伴う「分断化」の果ては、それこそ「人情の街大阪」
そのものを破壊する危険性について、一番肌身で感じてるのも大阪市民だろうし、
だからこそ都構想なんていういかがわしく不健全性に満ちた政策を阻止したとも言えるわけで。

地区特性としてのメリットである「人情性」にあって、そこにヒビが入るとどうなるかというのは、
まさに詭弁性や詐欺まがいの言質をあからさまに用いるという、
まさに現代のヤクザにある「巧妙な詐欺系手法に特化した」やり口・・
即ち記事の文言によく表れているわけで・・。

>『はしごを外したのは松井』というのは間違っている。申請を取り下げたのは自分」だ

先日の下地によるズッコケ質疑はこの際勘弁して差し上げるとしても(笑)、
重要なのは、『はしごをかけた(作った)のは他の誰でもない、大阪行政と霞が関』であり、
篭池のおっちゃんが一人で作ってかけたわけじゃない・・ということをまるで抜き取ってる辺りが、
愚連隊松井の本性そのものなわけで。

その松井が、慌ててはしごを外したから申請を取り下げざるを得なくなった篭池・・
という最も素朴で明快な理由すらこうして平気でぬかせるのは、
まさに下町でワルを続けて来た松井ならではの腹の据わりっぷりであり、
また「頭の悪さ」そのものでもあると。

そんでもって、「辻本くだり」なんていう本丸とは遥か程遠い、
なんてこともない部分をこれ見よがしに用いんとするのは、
党自体がネトウジ(ネトウヨではない)で、裏返せばあの籠池母さんによる
特異な人間性由来に拠る「支離滅裂性」にすがってしまうという、
もはやそれしかなくなってしまった台所事情の貧相さをよく投影している。

この辺りは自民サイドも同様で、こんなどうでもいい部分を切り取り
防衛のアイテムにせんとし、ネット界隈に号令をかける顛末は、かつての自民党では
あり得なかった稚拙さであり、まさに代理店経由〜IT業界を背景にする戦略の中にある
「若年世代」由来の短絡的で幼稚な発想であることが手に取るようにわかる。

にもかかわらず、「忖度」なんていうある種「日本の悪しき政治的伝統性」を、
新しい政治を標榜しつつ改革の旗印として掲げた維新なる政党が、
この場に及んで開き直りの末に「良い忖度と悪い忖度」なんぞという詭弁を
よくも恥ずかしげもなく発せられるのも、社会性を持ち合わせず、
また育まれる前に「勢いだけで」政治の場にのし上がってしまった橋下由来の松井や、
それに追従する若手主体の政党の華奢な姿というのがものの見事に
表れているってわけで・・。

こんな詐欺まがいで、関西ヤクザのエグいやり方という「古典手法」に喝采し、
胸のつかえを下ろす庶民が旧世代中心だとしたら、その理由もいささかわかろうものの、
ITや科学技術〜文化を背景に育っているさなかにある現世代が呼応しているとしたら、
そりゃあもう大阪の未来はおろか、日本の未来も暗澹としていると云わずして何と言うか、だ。

何よりこれは、表社会・実社会に馴染めずに、ましてや自身をその中で発揮出来ない、
既存社会で縦突けないフラストレーションを、破茶目茶に切り裂きながら
肩で風を切って進まんとするヤクザ集団に擦り寄ることで、
代理的に実社会へ仕返しを望んでいるもやしっ子達・・というだけのことでもあり。

それは結局、関東や東京由来で派生する地域に住む者は自民党へ、
関西や大阪由来で派生する地域に住む者は維新へ・・という依存構造が今の有り様だろう。

まぁ、森友問題は霞が関と大阪という二つの舞台に跨った構造と脚本にあることは
言うまでもないものの、既述のように改革の旗印で新しい政治集団として大見得を切った内情は、
結局ドロドロとした古典的な政治手法でしか維持出来ないという実情と、
大阪風情の背後にあるヤクザ〜詐欺手法を武器にしているだけという実態をあらわにし、
他方では霞が関に対抗しようと利用しつつも、霞が関に利用されながら切り捨てられつつある・・
という、振り返ればかつての地方でもあったような姿の一片を、
この現代でも引き続き見せられているということに他ならず。

そうして派生した下々の界隈に特化するなら、まさにこの籠池のおっちゃんこそ、
思想や人間性の異なりはあるにせよ、お上にすがるも切り捨てられる・・
という一般の末端庶民同様の構図にもぴったり符合するものであり、
その悲壮感なるものが、ある面で実直なおっちゃんに同情心さえもたらしたという点で、
「大阪劇場」としては寧ろ『人情で始まり、人情で終わる』という顛末でもあるわけで。

その意味で、籠池のおっちゃんは時間は相応にかかるかもしれないものの、
やがてはリベラル〜人権や国民主権の重要性に気づき改心していく・・なんてことが
大いに有り得る気がするのは、「人は痛みを知って初めて生まれ変われる」という
普遍性になぞらえれば必然だろうとも思うわけで・・。

■維新・松井代表「いい忖度と悪い忖度がある」 党大会で森友問題に言及
(THE PAGE - 03月25日 16:03)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=177&from=diary&id=4495030
4 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する