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2017年03月11日14:11

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長曾我部一族の不運は

何と言っても戸次川だよなあ。

元親は英傑だったし、その世子たる信親も聡明の評判高かったが、戸次川で戦死した。

それも信親の失態ではなく、彼は小勢での渡河進軍は危険として増援を待つよう主張したが退けられ、さりとて陣を抜ける訳にもいかないのでやむなく渡河作戦を開始。十河存保らとともに第二陣を担当し渡河を開始。

間もなく第一陣の仙石秀久が島津家久お得意の釣り野伏せにかかって敗走、第二陣は渡河中に殲滅され、信親も十河存保も討ち死に。信親は元親の期待を一身に受け、かつその期待に応えうる器を持っていただけに元親の失意甚だしく、かつての英傑の見る影もなくなってしまったとか。

加えて信親馬廻りを含む有力な家臣を多数喪失したことで長曾我部家は屋台骨から揺らいでしまい、後継者を巡るお家騒動もあって領国経営にも難渋、豊臣政権からは冷遇されたとか。のちに当主となった盛親も、それを盛り返すべく参陣した関ヶ原では敵と内通している毛利に阻まれて動けず、大坂で最後の一旗にも失敗して首を刎ねられ、いいところなし。

一時は四国全土を手中に収めかけた家なのに。


■子孫が語る刀剣と秘話 長宗我部家に伝わる歴史を刻む無銘の刀
(dot. - 03月11日 07:03)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=4472434
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