mixiユーザー(id:78391)

2017年02月02日19:20

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 【質問】 ブラウ作戦頃のハンガリー軍の装甲戦力は?(下書き)

 【回答】
 1942年春,その前の冬季戦で戦力を大きく消耗したドイツ軍は,やむなくイタリア,ハンガリー,ルーマニアなどの同盟国の兵力で穴埋めをすることにした.
 ハンガリーはヒトラーから圧力をかけられ,第2軍,約20万人を派遣した.
 後方担当とすることと兵器供与がヒトラーから約束されたが,どちらも空手形で,コーカサス方面の攻勢に参加させられ,戦力の15%をハンガリー第2軍は失うこととなった.

 1942.7.1時点で,第2軍には装甲戦力は第1装甲野戦師団一つあるのみで,残りは軽歩兵師団が殆ど.
 第1装甲野戦師団は,
第30装甲連隊にトルディが3輌,IV号F2型が11輌,チェコ製軽戦車Pz38(t)が30輌
第1自動車化支援連隊にPz38(t)が6輌,IV号F2型が2輌
第51対空砲大隊にニムロード自走対空砲×6輌,トルディ×6輌
そして第1装甲騎兵大隊にトルディ×18輌,チャバ×14輌.スコープドック無し
等といった状況.

 これが作戦中止(1942年10月)後の12月になると,
第30装甲連隊にトルディ×9輌,IV号F1型×8輌,IV号F2型×8輌,Pz38(t)×41輌
第190突撃砲大隊にIII号突撃砲×32
第559装甲猟兵大隊に対戦車自走砲マーダーIII×12
第700装甲戦隊にPz38(t)×50,ただしこのうち33輌は修理中
となっていた.

 こうして観ると分かるように,殆どが軽戦車の類であり,ソ連軍の強力な戦車の大群に対峙するには,依然としてかなり心許無い戦力だった.
 そして事実そうなるのである…

 【参考ページ】
高橋慶史『ラスト・オブ・カンプフグルッペ』III(大日本絵画,2012), p.97
http://www.niehorster.org/015_hungary/42-07-01/army_02.html

写真左:ハンガリー軍のPz38(t)の車列
後方に「ニムロード」,さらに後方には「ラーバ」トラックその他の車輌が見える
密集している上に綺麗に並び過ぎているので,ちょっと宣伝写真臭いが

写真右:スチュアートM3軽戦車を牽引するPz38(t)
M3はロシアでハンガリー軍に鹵獲されたもの


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