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2017年01月24日16:31

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1月20日 芝三光に会いに行く

1月20日、急遽上京、芝三光の江戸しぐさ振興会(理事長:和城伊勢、事務局長:芥川友慈)が主催する「『江戸しぐさ』資料展示会」に行く。会場には和城女史、芥川氏の他に日本江戸しぐさ協会代表の山内あやり女史も来ておられた。
http://edoshigusa.biz/?page_id=19

受付で記帳を求められてから入場料代わりのドリンク券購入、未入手の書籍を購入、中に入ると芝三光生前の手書き原稿に、小学校時代の賞状(成績優秀や図画大会優勝で何度も称されていて優等生だった模様)、「江戸の良さを見なおす会」初期の印刷物と私からすれば宝の山。撮影不可なのが残念。
それらの資料が残った経緯はこちらを参照。
http://ji-sedai.jp/series/edoshigusa/004.html
http://ji-sedai.jp/series/edoshigusa/005.html

芝が連載を持っていたり、「江戸しぐさ」特集を組んだりしたミニコミ誌もあって、初期の「江戸しぐさ」が1980年代のミニコミブームに乗って普及を図ろうとしたことがうかがえる。

面白いのは『暮らしの手帖』編集部からの葉書の束(印刷物)を閉じたファイル。芝は毎月、『暮らしの手帖』を読んではその詳細な感想を編集部に送りつけており、その令状という形で葉書を受け取っていたという。

芝生前の文章で残っているものは、(架空の)江戸の文化に関するもの、子供時代の思い出、現代の文化への批判ばかりで書き物の束を見ているうちに彼の「江戸しぐさ」の構想が子供の頃に両親や教師から受けた教育を反映したものであったことが改めてうかがえる。小学校時代の賞状が何枚も大切に保管されていたのも彼にとっていかに子供の頃の思い出が大切だったかを示すものだろう。

生前の芝のインタビューや高校生相手に「江戸しぐさ」指導を行っているビデオに見入っていたところ(芝は意外と早口で、現存する人で口調や雰囲気が似ている人と言えば富野由悠季氏が思い浮かぶ)、芥川氏が声をかけてきて、そのまま和城女史、山内女史に紹介される。

せっかくの機会なので、今まで気になっていたことについていろいろと質問。もっとも主に話していたのは芥川氏と山内女史でしたが。

和城女史、私に、芝の後継者の器ではなかった、と書かれたことについてはご立腹との由。山内女史も、拙著が出てから自分の著者に増刷がかかったと礼を言われる一方で、決まっていた講演会がキャンセルされたとも言っておられて守るも攻めるも和気藹々w

和城女史、山内女史としては、越川禮子女史やNPO法人江戸しぐさが説く内容は芝の話とは食い違ってきているし、文部科学省の教材の内容は論外なのに、「江戸しぐさ」は喧嘩せず、ということで、 いままで我慢してきたのを私が代りに批判する形になったことで(自分たちも批判されているにしろ)溜飲が下がった面もある由。

そうこうするうちに夕方になり、入場者が増えて来たので私はその場を辞去、宿へと向かう。芥川氏から何度もお茶や茶菓子を進められたのでドリンク券は使わず仕舞に持ち帰る(まあ、資料の一つになるというだけのことだが)。

秋葉原の宿で一泊、21日には帰広。

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