『語り部の里』
ザザー・・・、ザザー・・・。
其処は透き通る様なとても透明度の高い海だった。
船縁から海中を覗き込めば浅い海底の砂地の上をまるで空を飛ぶ鳥の様に色取り取りの魚が泳いでいる、そんなマリンブルーの海に船の作り出す２本の航跡が細い白波と成って細い�校�を描いていった。
日は高く、容赦無くじりじりと肌を焼く日差しは、まるで夏の日差しそのものだ。
遠く沖には数隻の漁船が朝の漁を終え港を目指し、その奥を大型の交易船が今正に出航していくのが見える。
ロックラック地方の東海岸にある港町。そこから琴乃葉の操船でルーティス達は沖に見える島を目指していた。
琴乃葉の故郷。竜人族の村である。
ただその存在は公にされてはおらず、また口外しない事も最初に固く約束させられた。勿論ルーティスはそれを二つ返事で了承して、ユクモ村を出て今、この海の上にいる。
それにしても、と琴乃葉を伺い見る。
琴乃葉は業火竜砲、ルーティスはゲキリュウノツガイとハンマーや大剣に比べれば軽い装備だが、鎧や道具も含めればかなりの重さである。
小船にそれだけの荷物を載せても澱み無く海を渡る琴乃葉の操船技術はなかなかのもの、いやかなりの腕前だとルーティスは感心していた。
琴乃葉の特技を発見！等と思い琴乃葉を見ていると、視線に気が付いたのか慌てて顔を赤くして横を向いた。
そんな琴乃葉に「操船上手いのね」、と聞くと「良く島を抜け出して遊んでました」と意外な答えが返って来て少し驚いたが、直ぐに何時もの笑顔になり「そう」とだけ答えた。
「こっちです」
琴乃葉は小船を係留するとルーティスを小さな漁村の裏に誘い、そのまま島の大半を覆う森へと入っていった。
琴乃葉の後ろを黙って付いて行くルーティスだったが、１０分程進んだ頃ふと森の雰囲気が変わった事を感じ、辺りを見回した。
「気が付きましたか？普通の人が入って来れない様になってるんですよ」
嬉しそうに微笑む琴乃葉。
「どういう、仕掛けなの？」
「それは・・・その、私にも良く分らなくって・・・」振り向き困った様に笑って誤魔化す。
そうこうしている内に森を抜け、開けた場所へと出た。
ザーーーーーーッ！
風が吹き抜ける。
森の中央付近。大きく開けたその場所の中央には樹海にある巨木には劣るものの巨大な木が頑丈な根を張っていた。
その木の根元や幹には家や窓が付いていて煙突から出る煙や洗濯物、遊びまわる子供や放し飼いの鶏が生活観を漂わせている。
まるで巨岩を刳り貫いて作られたロクラックの巨木版である。
「凄い・・・」
その木の大きさもそうだが、なによりここに来るまでこの巨木が見えなかった事だ。森の中は兎も角、これ程の巨木が船の上や海岸から見え無かったのは明らかにおかしい・・・。
これも琴乃葉の言っていた普通の人が入って来れない仕掛けの効果なのか、と巨木を見上げ驚いているルーティスに向かって誇らしげに「ここが私の村、語り部の隠れ里です」と胸を張った。
ルーティスを伴い、村の中央を進む琴乃葉に気が付くと村人が皆寄って来て、歓迎の声を掛けてくる。
「お嬢さん、御帰りなさい」
手を振り「ただいま」と琴乃葉も笑顔で返す。
「あ、お嬢様御帰りなさいませ」
「お姉ちゃん、お帰りなさい！」
子供たちの頭を撫でながら「ただいま〜みんな元気にしてた？」と嬉しそうに１人１人に声を返している。
（お嬢様？）琴乃葉はみんなに慕われているだけでなく、良家の出なのだろうか？等と考えながら琴乃葉の後ろを付いて歩いているとルーティスにも親しく挨拶する村人達に驚いていた。
ここは隠れ里である。そこに入って来た余所者に対して警戒こそすれ親しく迎える等ルーティスにとって初めての経験だった。
胸がチクリとする。
挨拶を返しながら最近は思い出す事も少なくなった昔に思いを馳せながらも村の中を行くと、程なく巨木の根元に辿り着いた。
「こちらです」
正面玄関になるのだろうか？巨木の幹に付けられた開け放たれたままの重厚な扉から中に入ると、中は思った以上に明るく広い空間が広がっていた。
外から光を取っているのか、炎の光ではなく自然光の光に近い光で満たされている。
そんな中を本や紙の束を持った１０人程の竜人が上へ下へと動き回っている。そんな人達に挨拶しながら幹の内側に作られた階段を上がって行く２人。
２階、３階と２つのフロアを抜けたその上に最初の扉より重厚でしかも美しい装飾の施された扉の前へと辿り着いた。
「ここがこの村の村長の執務室です。どうぞ入って下さい」と琴乃葉は軽くノックをすると返事も待たずに扉を開けた。
紙や本独特の臭いがルーティスの鼻腔をくすぐる。
部屋の中は本の山だった。右側の巨大な本棚に整然と並べられた本と左側の机に乱雑に積み上げられた紙の束が対照的である。そして正面の机にも２０は下らない本と山積みとなった紙が置かれていた。
更には床のあちらこちらにも本が積み重なっている。そんな本と紙の間で緑色の何かが動く。
「おっほ！良く帰ってきたの琴乃葉〜」
長い髭を蓄えた竜人族の老人がむくりと体を起こす。小さな緑色の帽子に同じ色のローブを着、小さな丸眼鏡を掛けていた。そして多くの竜人族の御老体と違い身長が高かった。と言っても１６０ｃｍ位、琴乃葉より少し高い程度だが。
「ただいま戻りました、村長」
先程までの故郷に帰って来た和やかな雰囲気は消え、少し緊張の表情で強張る琴乃葉につられルーティスも居住まいを正す。
と、突然村長と呼ばれた老人は、老人としては信じられないスピードで近寄り琴乃葉に抱き付いた。
「わしゃ寂しかったぞい〜」
琴乃葉に頬擦りしながら腰に回した手が鎧の隙間からお尻へと動いた瞬間、ゴツンと言う重い音が部屋の中に響いた。
「おじいちゃんっ！？」
琴乃葉の業火竜砲のストックが小さな老人の頭を打つ。
「おっ・・・おじいちゃん！？」
さっきまでの緊張が吹き飛び、あまりの事に何も出来ず驚いていると村長と呼ばれた筈の老人がルーティスにも飛び掛って来た。
「！？」
思わず身構えたが老人の突撃は琴乃葉によって阻止された。襟首を掴まれ、まるで猫の様に吊るされる老人。
「お・じ・い・ちゃ・ん！（怒）」
本気では無い様だが、珍しく怒っている琴乃葉に老人は泣きそうな顔をしたが遂には大人しくなって肩を落とした。
「分った、分ったから降ろしてくれい・・・」
床へと降ろされると着崩れを正し、改めてルーティスへと向き直った。
「遠路遥々ご苦労じゃったの。わしがこの村の村長じゃ」
“にかっ”と笑うその姿には悪びれる素振りは無く、ウキウキと言った感じで応接用のソファーへ２人に座る様に勧めると呼鈴で人を呼んで飲み物を用意させた。
心地良い風が入る窓が閉められると部屋は完全に外界と遮断された。外の音が一切聞こえなくなったのだ。
お茶を１口啜り、鋭い眼光をルーティスへと向ける。先程までのエロ爺っぷりが嘘の様である。
「改めて自己紹介をしようかの。わしがこの村、語り部一族の村長じゃ」
「始めまして、ユクモ村で村専属のハンターをしています、ルティエティミス・クリアーと言います」
立ち上がり頭を下げるルーティス。
「ふむルティエティミス・クリアー殿、先ずはお礼を言わさせておくれ」そう言うと村長も立ち上がり深々と頭を下げた。
「孫をここまで育て、鍛えてくれた事。幾度と無くその身を挺して護ってくれた事。そして孫に対しての信頼。本当にありがとうございますじゃ」
「おじいちゃん・・・」
突然の事に呆気に取られたルーティス。
「あっ、そんなやめて下さい。私は特別な事はなにも・・・」と胸の前で手をぶんぶんと振っる。
村長は顔を上げると「いや、ここに来た時点で特別なのじゃよ」と優しく笑い掛けた。
「え！？」と訳が分らないという顔をしていると、察したのか琴乃葉を見た。
「なんじゃ、説明しとらんのか？」
「おっ、おじいちゃんに判断して貰おうと思って・・・」
弁解する琴乃葉に「おじいちゃんでは無い、村長じゃ」と今更ながらに村長としての体裁を取り繕った。
ソファーに腰掛け、ふぅと一息吐くとやれやれと言った感じで髭を撫でた。
「ルティエティミス・クリアー殿・・・」
「あ、私の事はルーティスとお呼び下さい」
「ふむ、ではルーティス殿。この村は隠れ里でな、部外者の立ち入りを制限しとるんじゃよ」
黙って頷くルーティス。
「この村への立ち入りを許されるのはこの村の者に絶対の信頼を得た者だけなのじゃ」
「おじいちゃん！私はルーティスさんを信頼してるよ」
「村長じゃ」
琴乃葉の訴えをピシャリと遮る。
「本来は導いた者が命を賭して村へと招き入れる事が出来る。そうしてこの村は守られて来たのじゃよ」
「命を・・・何故そこまで？」
命を掛けるなどとは穏やかではない。
「この村の情報は莫大じゃ。身分を隠し各地に村人を送り、目ぼしい者にはその身近に人を寄り添わせる。その情報の価値は計り知れず、各国の権力者や野心家だけでなく犯罪組織までもがその情報を求めておる」
「そんなに・・・」
「情報とは財産であり力でもあるんじゃ。ルーティス殿も初めて闘うモンスターについては事前に情報を集めたりするじゃろう？」
「はい・・・確かに」
「ふむ、じゃから島の漁村を隠れ蓑にして、この村自体は隠れ里として外部との交流を極力避けておる。そしてこうして話している内容もまた大事な情報じゃよ」
してやったりと笑う村長の表情に、しまったと思うと同時に寒気がした。
「まぁ、今の情報はここに招かれた時点で琴乃葉が話しているべき情報じゃから安心せい」
そう言って肝を冷やしているルーティスを余所に「ほっほっほっ」と楽しそうに笑った。
ルーティスの傍らでは琴乃葉が申し訳無さそうに俯いて「あの・・・ごめんなさい」と言って小さくなっている。
お茶をグイッと飲み、一息吐くと再び真剣な眼差しでルーティスを射抜く。
「まぁ、良いがの・・・。さて、本題じゃ。ルーティス殿はどんな情報を欲しているのかの？」
突然の質問に即答する。
「欲しい情報は２つです。もう御存知と思いますが私が助け、ラヴィーネと名付けて育て、野性に返したモンスターの居場所。そして北の湖の畔の村で見た、黒いウカムルバスに酷似したモンスターに付いての情報です」
フムと頷く村長が何か言う前に更に続けた。
「ただ、私はその２つの情報にどれだだけの報酬を払えば良いのか分りません・・・」
「報酬は基本決まっておらん。情報の価値は人それぞれじゃからの。ただその２つの情報は誰に話そうが安くは無いぞ」
「おじいちゃん！」
口出し無用と琴乃葉の言葉を手で遮る。今はもう長として交渉の真っ最中なのだ。
「じゃが何故じゃ。ラヴィーネの情報を欲するのはまだ分る。しかしウカムルバスの情報は何故欲しがる？」
「あれは必ず闘う事になると思います」
「未知のモンスターを狩りたいというハンターの性かそれとも・・・女の感というやつかの？」
興味津々といった表情で真意を探ろうとするする村長の目。
「いえ、あのモンスターの姿を見た時その禍々しさに悪寒が走りました。それまでモンスターには感じた事のない物です。まるで人間の強烈は恨みや狂気、そして深い悲しみといった不の感情が渦を巻き澱んでいる様な・・・」
ほう、と心の中で感心する村長。
「あれは必ず人に災いを齎します」
「だからより確実に狩る為に情報が欲しい・・・と？」
「はい。狩れないまでも撃退出来ればと思ってます」
少しの沈黙。村長はルーティスの瞳の中に強い決意とその奥に揺らぐ慈悲を見た。
「ふむ、じゃが最初に言った通りその情報は誰が相手であろうと高いものじゃ。ギルドの年間予算並みにの」
「そんなに・・・」
驚くルーティス。ギルドの運営予算がどれ程の物かは分らないが、一介のハンターが簡単にどうこう出来る額でない事ぐらいは想像が付く。
「村長！？」
「お前は黙っておれっ！」
琴乃葉の言葉をピシャリと遮る。
「今すぐには無理ですが・・・」
「我々はこれで日々を生活しておる」
ぐっと手に力が入り身が強張る。全ての素材や武具を売り払っても到底足りる物ではない。
「それでは・・・」
困っているルーティスを見て口角が上がる。
「そこでじゃ、こちらが欲しい情報を出してくれればその内容、価値によってはまけてやっても良いぞ」
楽しそうに笑ってはいるが、その目の奥は鋭かった。
「情報・・・ですか」
戸惑いが隠せないルーティス。この御仁はどうも一癖も二癖もあり、何処かの誰かを思い出して遣り辛い。
「そうじゃ、情報には価値が有る。情報の物々交換じゃな。まぁ、内容次第じゃが」
どう考えてもそんな価値のある情報など思いつかないルーティスだったが、向こうが聞きたがっている情報が有るならこちらとしても渡りに船、そもそも他に選択肢も無かった。
「分りました。私の知っている情報なら何でも話します」
「ほっ！良い心がけじゃ」
村長は大いに喜び、パン！と手を叩く。そして目を輝かせ身を乗り出した。
「では、今のルーティス殿と琴乃葉の３サイズを・・・」
バキッ！
「おじいちゃん！真面目にやって！」
乗り出した頭を叩かれ、テーブルに崩れ落ちる村長。
「ぐお〜・・・本気で叩きおって。ほんのかわいいじいちゃんジョークじゃろうに・・・」
「ルーティスさんは真面目なの！」腕を組み、頬を膨らます。
「わかった、わかった・・・」と頭を擦りながら残念そうに口を尖らせる。
ジト目で見詰める琴乃葉を誤魔化す様にお茶を１口啜り、気分を切り替えた。
「うおっほんっ・・・では嘘偽り、偏見等を入れずにルーティス殿の知る真実のみを話す事を誓ってくれ。違えればそれなりの報復があるからの」
報復とは大層な話だが、情報を重要視しているこの村では真実は尊く、重要だという事は理解できている。
「・・・分りました。知っている事だけを知っているままに話します」
ルーティスに出来るのは自分の予測や思い込みを避け、正直に見たままを話す事だけだった。
「ふむ。良い返事じゃ」
真剣なルーティスの眼差しを孫を見る様な優しい瞳で返す。
「それで私に聞きたい情報とはなんでしょう？」
「何、大した事じゃない。ちょいと昔話を聞きたいのじゃ。ルーティス殿が生まれてからココット村でハンターになるまでの話をな・・・」
と言って村長は楽しそうにニッと笑った。
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