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2016年10月16日15:14

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別のゲームへ移ろう   作・白地紅点


別のゲームへ移ろう   作・白地紅点 
            《ファンクラブ副委員長。ヨハナ君》

 人類が発生した頃は、自然の中で生きていた。
 野生の果実や動物などを食べていた。
 雨風など災害を避けるために、洞穴に住んでいた。

《イエーイ、女子はみんな裸だぜー》とヨハナ君。

 特に計画したわけではない、それは偶然であった。
 食物を栽培し、動物を狩り、食料を確保した。
 洞穴を掘り、木を組んで家を建てた。
 やがて、現代的な意味での言語ではないが、何かしら声による意思伝達方法が行われるように
なる。

 次の段階で、人々は分業を行う。
 狩り、栽培、飼育など、生活の基本となる作業は得意な者に分業して効率よく行われる。  《そうですかい。現代も似たようなものだね》とヨハナ君。
 集まって協力した方が、死なない確率が上がるのだ。
 それでも、まだこの段階では、全ての人々が生きてゆくのに十分な資源は確保できない。
個々での奪い合い、集団での奪い合い。争いの歴史である。

 《殴るのはいかんよ。ジャイケンで決めようぜ》
 
 争う事で怒りの感情を抱いた人々。
 この段階で、人の言語能力は、高まる。
 争いを記憶し、記憶を伝える事で、争いは激化する。

《ジャイケンって言ったのによぉー》

人間以外の生き物の場合、争いとは目的を達する手段である。
 例えば、発情期の雄は、雌を奪い合い、他の雄と戦う。勝てば争いは終わる。
 必要があれば、結果的に殺してしまう事がある。が殺すのが目的ではない。

《最悪だぁー。爆弾とかミサイルはいらねー。男なら素手で勝負しろ》

 しかし、人間は違う。
 争いにより、怒りや恐怖の感情を、蓄積してしまう。
 それは感情を記憶するからだ。
 その感情をもとに争いは継続する。
 当事者が死んでも、次の世代に感情は、言語によって引き継がれてしまう。

《ルークよ、怒りに捕らわれては、ならん。ってオビワンが言ってたよ》

 初期の段階の争は、生きてゆくためであった。
 水や食べ物などの総量が、全ての人々が生きてゆく必要な量よりも、足りなかった。
 この段階でも、哲学や宗教、道徳など言語により創られた思考により、争いではなく共存の方法を探していたが、共存の方法の違いが、別の争い(宗教対立、村や国などの対立)のもとになってしまった。

 《ホントかよ。すげー悲しいぜ》

 石油、領土、食料、労働力(奴隷)などあらゆる資源は、生きてゆく為に、相手から奪う。
 地球上の全ての人が、生きるのに必要な量の食料があれば、これを奪って争う必要はない。しかし争いにより蓄積した感情に拘っては、争いは継続する。
 先進国では毎日大量の食品が捨てられている。
 余暇としてスポーツを楽しむ。ダイエットなどエクササイズクラブに月謝を払って通う。
 お金が欲しくて、より高い報酬を求めて就職先を探す。そのために学歴、技能、経験値を身につけようと高額な費用が必要だ。

 《げげっ、オイラ乗らないのにバイク二台あるし、自動車を買おうかなって・・・・・・》

 「思い込まされてしまったのだ」
 生きるためではない。金がほしいと思いこまされた。
 生きるとは、不安なものだ。
 不安の解消はできない。がその努力の方法がお金である。と思いこまされた。
 
 老後、子供の成長、など先々に不安を抱く。
 その解消方法が、お金である。との思い込み。
 お金を欲しがる人々の社会。
 現代は、排他的に回っているゲームである。

《排他的ってなん? ゲームって、世界中がか?》

 お金に不都合はない。
 排他的に回るゲームが不都合である。
 資源を限ってしまうから、奪い合いとなるのだ。
 もしも、学費、食費、老後の生活費などが、十分に確保できたら、お金を欲しがる必要はない。
 もしも、学費、食費、老後の生活費が全て無料なら、人間社会からお金が消えたら、お金によって排他的に回るゲームから、包摂する別のゲームへ移る事ができたら、と考えられないだろうか?

 包摂する別のゲームへ移行すれば、人々は働くモチベーション(意欲)は、無くなるのか?(人類の進歩は止まってしまう?)

 全ての人が、生きてゆける条件(不安の解消)がそろえば、争いは無くなるのか?

 【そうでは無い】 

  人には、思い込みにより、意欲(モチベーション)を持つ事が可能だ。
 その思い込みを、利用すれば、包摂するゲームの中でも働くモチベーション(意欲)を得る事は可能だ(人類の進歩は止まらない)。

《モチベーションって。女子にモテる事?バイクの運転が上手くなりたい? イカ娘のDVDボックス
が欲しいなぁー》とヨハナ君。
 
 冨を得た成功者に、私財を社会貢献に投じる者がいる。
それは、莫大な金を手に入れてみると、それが人生の目的とはならないと「思い込みが解けてしまった」からだ。(包摂するゲームの可能性を感じたのだ)
 
 もしかしたら「地球規模では人類全体が生きてゆくための資源は確保できている」のではないだろうか?
 思い込み、その最中には、気づかない。
 もしかしたら、と思考している段階では、思い込みの中にいるのである。


 作・白地紅点
 《ファンクラブ副委員長・ヨハナ君》
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