10月12日
性急さに歯止めをかける
例えば軽率で性急な行動や話し方をすれば、公正で寛容であろうとする力はたちまち消え失せる。
12のステップと12の伝統 119ページ
公正で寛容であることは、日常自分で努力して目指すべき目標である。私は自分で理解する神に祈っている。私の家族に、そして親しい人たちに、愛情と寛容の気持ちをもって接することができますように、と。そして導きを求める。気持ちが高ぶってきたとき自分が話す言葉に歯止めをかけてください、と。そして立ち止まり、自分の言葉が引き起こすと思われる、相手の、そして自分自身の感情的な混乱に目を向けてみる。祈り、黙想、棚卸しこそが、私にとって、健全な考え方と積極的な行動への鍵である。
--------------------------------------------------------
「今日を新たに」 2004年5月31日 翻訳改訂版発行
AA日本ゼネラルサービスオフィス(JSO)発行
--------------------------------------------------------
10月12日
私はAAの中で、まだ“ただ乗り”をしてはいないか? 自分は得るばかりで何も与えていないのではないだろうか? ミーティングではいつも後ろの列に座り、やるべき役割のすべてを他のメンバーにさせていることはないだろうか? 飲んでいないだけで充分であり、そのことは称賛に値すると思ってはいないだろうか? もしそのような自分であれば、私はプログラムにおいてほとんど進んでいないし、またこのプログラムが埋蔵している宝からは、かなり遠いところにいると言えよう。プログラムの原理に近づき、担うべき分担を仲間と共に手に取るところまで行かなければ、私はメンバーとして影の薄い者と言えるだろう。座り込んだベンチから立ち上がって、私もその活動に加わらなければならない。私は通りすがりの見物人ではなく、この共同体の一員なのである。
私はこの共同体の一員として担うべきものを担っているか?
黙想
自分に与えられたビジョンに感謝しよう。小さな事柄において、神と他の人々への誠実なサービスを心がけよう。日常のちょっとした事柄にも、神に帰る心で加わろう。神の御言葉に耳を傾けるだけでなく、それを実践する者となろう。日々の生活において神への信仰によって生きる者でありたい。訪れる今日一日は、私を何か役立つ者とする新たな機会なのである。目の前にある問題から逃れたい、あるいは見過ごしたい、あるいは無視したいという誘惑に駆られるとき、怠惰に身を任せず自分に与えられた意味あるチャンスとして、その問題に公正に直面する習慣を身につけよう。
祈り
生きる中で直面する一つ一つに、誠実に関わらせて下さい。怠惰に陥ることなく、公正に喜びを持って生きることを受け止めさせて下さい。
ホームカミング社 「一日二十四時間」より
※私の独り言※ 「ダブル・スタンダード」という言葉を聞いたことがあります。それを聞いたとき、「これだ!」と感じたことをよく覚えています。自分でも、家族に対するときと外でAAメンバーや普通の人と相対するときとが自分の対応がなんとなく異なっている、と感じていたからです。家族に対しては必要以上に厳しくなっている、もっとはっきり言えば公正に見て家族に対して悪意を持って応対しているのか、と感じるほどでした。
ダブル・スタンダードとは、誰かに、または何かに対応するときの基準とほかの人やほかの現象に対応するときの基準とが異なってしまう、ということです。昔の一般の人に対しての法律と貴族に対しての法律とが実質的に違うものとなっていたことを思い起こせばおわかりでしょう。ほかの人は、こうしなければならないけれど、自分はそうする必要はない、自分だけは特別だということもその一つでしょう。
たとえば、ほかの人がやらなければならないサービスの程度と比べて、自分がやるべきサービスの程度は小さい、ということなどです。ほかの人は、AAのプログラムをきちんとやらなければならないけれど、自分はこれぐらいで十分だ、と思うのもそれに当てはまるでしょう。こういうことは、無意識に起こりがちのようです。絶えず、自分が知らず知らずのうちにそういう思い込みにはまっていないかをチェックする必要があるのではないでしょうか。
/\○/\○/\○/\○/\○/\○/\○/\
山口、AA宇部グループ Mike(マイク)
ログインしてコメントを確認・投稿する