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2016年09月30日01:39

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戦国の才女 小野お通

小野お通は高度な教育を受けて様々な芸能に才能を発揮した戦国随一の才女で恋多き女性として伝わっています。

高い知名度にも関わらず詳しい情報の少ない謎の女性とされていましたが近年、研究が進み段々はっきりしてきている女性です

織田信長に仕えていた小野政秀という武将の娘で好家の間で起きた戦で父・小野政秀は討死したが織田信長の庇護を受ける事となり、当時の最高水準の文化人達と接し、教えを受けながら成長し優れた知性を持った女性となっていく。大体、信長は才能のある人間を取り立てる趣味があった

小野お通はその才能を徳川家康に気にいられ家康の孫である千姫の付き人として大阪城に入城し豊臣秀頼の母・淀殿にも気にいられた事から豊臣家からも重用されるが大坂夏の陣」においては千姫に危害が及ばないように徳川方の武将達と交渉し、大阪城からの脱出を手引きしたとも言われ、豊臣家が滅亡したのちは徳川二代将軍・徳川秀忠に仕え、秀忠の娘・和子にも仕える

松代藩藩主である真田信之とは手紙をやり取りした記録が残っている為、個人的な親交があったと考えられている。

小野お通は書の名人としても知られており、彼女の筆跡は現在でも手本として高い評価を受けている。

家康は、真田幸村の武力を恐れ、伯父の真田信尹(のぶただ)を通じて、再三、書状で幸村に徳川へ味方するように説得したが、幸村は家康に味方することを拒否。家康は、兄の信幸を幸村に直に会わせて説得させることにした。兄弟の再開の日は、元和元年(1615年)2月末。場所は、京都の東山にある小野のお通の屋敷という真田兄弟とも縁のある女性だった。八木亜希子は、とてもそうは見えずキャスティングミスの感じはあるが
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