人生の最終目的は、幸せな結末であり、
健康的な生活であり、心の豊かさであり、
人を愛する心を持つ感受性であり、
子孫、または、何かしらを継承していく
ことであろうと思う。
それらを叶えるために
「今は」
お金が必要なだけであって、
100年後も同じお金や通貨が通用すると
思うか。
僕は、このIT技術や人工知能が過剰に加速度的に
発展していく世の中では、電子通貨、ビットコインの
ようなもの、信用点数取引など、それぞれの社会で独自
の経済活動が発展していく可能性と否定できないか
と思う。
だから、お金こそ全てではないと自分は思う。
友達もおらず、親親戚、兄弟もおらず、健康でもなく、
ただお金を持っていても、それは一体何の意味がある
のか。衣食住が確保され、友人、恋人がいたら、
お金はいらないのでは?
本当の友人ってのは、仕事も失い、お金も失い、
健康も失った時に離れていかない人のことだろう。
それらを全部持っている時にだけいる友達というのは、
それは、その人ではなく、それに付随しているものに
寄ってきているただの人だ。言ってはなんだが、
コンビニの灯りに寄ってくるガのようなものだ。
僕の持論としては、お金はツールであり、
その代わりになるものがあれば、そちらにいつでも
乗りかえるくらい結構薄弱なものだということだ。
■「世の中、金こそすべて」←この主張に反論できる?
(Jタウンネット - 08月21日 17:20)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=241&from=diary&id=4153589
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