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2016年08月27日02:56

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島左近人物像

島左近は大和(今の奈良県)出身で、俗に実名を勝猛ともいわれ1540(天文9)年に生まれている。

大和の豪族の出身で、隣国河内(大阪府南東部)の畠山高政に仕え1562(永禄5)年に畠山高政と阿波の三好長慶が争った教興寺の合戦で畠山方に加わり、参戦したとする記録が残っている。

後に大和の戦国大名筒井順慶に仕え、1571(元亀2)年ごろから、筒井家の記録に名前が見られるようになります。筒井順慶は大和の支配権を松永久秀と争うが、その戦いの多くに参戦し、頭角を現し筒井順慶の死後、跡は甥の筒井定次が継ぎますが、左近と全く意見が合わず左近の領地の農民と中坊秀祐領の農民が水争いで騒動となり、それを機に左近は筒井家を去っている。

左近はその後、蒲生氏郷、豊臣秀長、豊臣秀保と主を変え石田三成が家臣にスカウトしてきた時は領地は4万石の半分の2万石を左近に与えるという破格の条件だった。

知略に優れた石田三成。それとは逆に武力に優れた島左近。なぜ島左近は石田三成に仕えたのか。左近よりも一回り以上年下で、戦歴も不十分…。 当然左近は断りました。それでも三成は諦めまず自分が持っていた石高の半分近くを左近一人に差し出し、その心意気に惚れた左近は一転、最後の最後まで三成に忠義を果たす家臣となった

三成に仕官した時期は1591(天正19)年か、1592(天正20)年といわれ左近は既に50歳を過ぎ、老齢に入ろうとしていたが、実力と過去の実績で大名級の領地をもらう有力家臣として転職し三成に従い、朝鮮にも出兵している。

これ以上、書くとドラマの進行より先走り過ぎてしまうので、今回はここまでにしよう
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