mixiユーザー(id:15845955)

2016年08月25日17:31

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一人一人が選び取ることです。

終末医療 QOD(死の質)について語られること少ない
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=125&from=diary&id=4159301

>「私は自分の口から食事ができなくなったら、人生は終わったと考えています。食事ができるかどうかが、QOLを担保する重要な構成要素と考えるためです。食べられなくなったら、自分に延命治療をしてほしくない。これが本音です」

>苦しくても長く生きること、楽に早く逝くこと。幸せなのはどちらだろうか。

傲慢な記事ですね。結論を暗示しているようにしか見えません。
もしも家族が、苦しくても長く生きたい。と強く願ったら、それは幸せでないからやめろといえと?
自分の最後は、尊厳を持って当人に選ばせてあげるべき。
それが苦しい生でも、楽な死でも。
それに尽きるでしょう。

父は誤嚥性肺炎を繰り返し、口から食事をとるのが難しくなった時、病院から「胃ろう」を提案されました。
そして父は、「口から栄養を取れず胃から直接入れるなんて、それは人間の姿じゃない。絶対嫌だ」と拒否しました。
私も姉二人も、どうしてもというならば従うしかないと、半ばあきらめました。
ところが主治医(若い美女です)は、父に顔をぐいと近づけて、迫ったのです。
Tさん。胃に栄養チューブをつないだからと言って一生口から食べられないわけじゃありません。口と喉のトレーニングを行い、誤嚥がおさまれば、また胃の穴をふさいで口から食べることも可能なんです。
そこまでもっていきましょう。まだ望みはあります。生きましょう、Tさん。

そのとき、ながいこと見なかった父の笑顔を見ました。
そして私に、「わしは生きてもいいのかね」と尋ねました。
「もちろんよ」と私は言いました。
実は、施設にお世話になっている父は、胃ろうをつなぐことでまわりに迷惑をかけることになる(胃ろうをつなぐと出なければならない施設もあるのです、24時間医療関係者がみなければならなくなるから)ことをすごく考えていたんです。そして遠慮していた。
主治医はそこを見抜いたのでしょう。

「なんだか娘に怒られているような気がした」と、後々父は微笑みながら言っていました。

あのセリフを、なぜ娘のわたしが言えなかったのかと、あとから思いました。

生のカタチは人それぞれ、死もそれぞれ。
胃ろうをつなぐことになるのは老いて死にかけたときだけではありません。
若くても業病によりそうしなくては生きていけなくなることもあります。
苦しいならば死ぬべきと、親は当人に言うんでしょうか?

「果たして幸せなのはどっちか」などと、正しい結論を示唆するような書き方にはすごく抵抗を感じます。
意志がはっきりしているなら、そして金銭的に可能な範囲なら、
当人が決めるべきことです。
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