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一部抜粋
新約聖書『ルカによる福音書』 17章20-21節
神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。
また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。
・awordforthesoul
自分の心が生み出す「悪」を消滅させるには
前回の記事などで、『幸せはガンがくれた』に出てくる、ガンを自然退縮させた方々の「言葉」に大変感動したことを書いたのですが、その感動は、当然ながら「病気が治ってよかった」というものではありません。
この本に出てくる人々の言葉は凄絶な「気づき」を私に与えてくれました。
この本の中には、「ガンに感謝し、ガンであることが嬉しくなってきた頃から自然退縮が始まる」というような感じの人の話が多く載せられていますが、ガンが自分の体内で起きている反応であることは事実であると同時に、ガンになる原因も、この本を読む限りは、ほとんどが「原因は自分にある」ことがわかります。
ガンというのは全部が「自分そのもの」です。
その、何もかも自分から始まるガンを悪だと考えること自体が、それは自己否定そのものであり、正しい態度ではないことがわかるのです。
ガンを含めて、体に起きるすべての反応、すべての病気の原因はほとんどが自分にあり、そのすべては「回復」を示しているものなのですから、どんな病気でも症状でも、それは難しくとも、できるだけ感謝し、受け入れるべきだと思うようになったのです。
ガン細胞
・ctjsc.com
私たちの人生で教えられてきた価値観は、大抵の場合は、
「病気は悪いものが侵入して起きる悪いものだから、ひたすら憎んでよし!」
というものだったと思います。
「病気=自然良能」と教えられたことは、少なくとも私はないです。
しかし、今になって知ることは、病気は自然良能であるばかりではなく、病気以外のすべてのものについても、本来の私たちの世界というのは、かつての多くの賢人たちが言うように、
この宇宙に否定的なものや出来事は存在しない
というのが真理だとすると、「悪いものが存在しているように見える」のは、それは「作りだしている」に他ならないはずです。
誰が作りだしているのかということには、いろいろな意見があるでしょうけれど、最も大きな「悪の生産拠点」は「自分」だと思います。
お化けを恐いと思う人と、全然恐くない人がいる。
高いところが恐い人と、全然恐くない人がいる。
残酷なシーンを見て、恐いと思う人と、全然恐いと思わない人がいる。
恐怖の対象が、おおむね人によりバラバラであることを見てもわかるように、恐怖は「その人の中で作られる」もので、この世に絶対的な恐怖はないです。
「不安」も同じで、この世界には本来は不安などないです。
うーん・・・どうもうまく説明できていないですが、たとえば、冒頭に新約聖書『ルカによる福音書』17章の部分を抜粋していますが、イエス・キリストは、この箇所で、「神の国はあなたがたの中にある」と言っています。
つまり、
「神の国は人間の中にある」
と、イエス・キリストは、はっきりと述べているのです。
「神の国」とは、つまり「神々の発生源」ともいえなくはないのではないでしょうか。
人間はその内の中に「神の発生源を存在させている」。
自らの中に神の発生源を内包している存在である人間の中から生じるものに「悪」が入り込む余地があるでしょうか。本来、すべてが「善」のはずです。
あるいは、それらは、
・善と悪の正体
という記事で書きましたけれど、「相反するふたつの存在」であるのかもしれず、確かに、私たち人間の中には「悪」と「善」が対立して存在しているものなのかもしれないですが、『幸せはガンがくれた』に出てくるガン自然退縮者の方々の言葉でわかることは、
悪に感謝すれば、悪は(本来の善の姿に戻り)消える
ということです。
そして、この「原則」は、病気だけではなく、「この世のすべて」について当てはまるのではないかと感じたのです。
前回の記事
・オカ氏の異常な愛情 または私は如何にして心配するのをやめて恐怖を愛するようになったか
http://oka-jp.seesaa.net/s/article/423814993.html
で引用させていだいた、ガンの自然退縮者の沢本さんのお言葉、
「変な言い方だけど、陶酔に変えていったのよ。痛い、だからこれは気持ちがいいというふうにしていった。痛みが気持ちいいんだって、自分に言ってたの。そうしたら、ちょっと言葉で表せないくらいなんだけど、痛みが、単なる痛みじゃなくなったの。通りいっぺんじゃないのよ」
「どう言っていいんだか分からないけど、ともかく違うのよ、痛みが。あっ、今日も来たよ、ありがとう、ありがとうって。本当に心からね、それが思えた日に、スパッと抜けた、痛みが。本当に、見事に、スパッと抜けたのよ」
これが、「宇宙のすべてに当てはまる」のだと確信したのです。
感謝すれば、悪がスパッと消えると。
その記事で私は、
ここに至って気づいたことは、感謝するという思想の本当の意味は「すべてと一体化する」ための実践方法のひとつだということでした。この意味は、つまりは、「感謝」と「この世の正体の把握」には密接な関係があるというようなことだと思うに至ったのです。
というようなことを書いていますが、この意味は、
悪に感謝することができることが、この地球の性質を変化させられる最大の行動かもしれない
と思ったということになります。
私たちがこれから見ていく先の世界、それの呼び方は、新しい地球でも未来の地球でも新しい次元でも何でもいいのですが、地球を「まったく新しい場所」にするためには、「悪に感謝する」という感覚を掴めるまで努力しなければならないということを感じたのです。
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