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2016年08月04日16:12

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連帯して責任のない者が謝罪することに対する私見

相模原殺傷 容疑者の父が謝罪
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4126345





Yahooニュースにて同様の記事に対しあるライターが意見を述べていた。


ライターのコメント内容
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このお父さんに「あなたに責任はありません」と申し上げたいです。
突然、混乱と困惑の淵に叩き落とされる加害者家族にも、配慮は必要です。
(まだ容疑段階ですが、本コメントでは便宜上「加害」「被害」を使用します)

突然、人生を奪われたり傷つけられたりした被害者と被害者家族の悲しみ・怒りは当然です。しかし、第一義的に責任や罪を問われるべき相手は、あくまでも加害者であり、加害者家族ではありません。
特に、加害者が家族の生計やケアを担っていた場合、加害者家族は、生計やケアの担い手を失うわけです。「加害者家族は子どもばかり」という場合もあります。親族間の犯罪では、子どもが加害者家族・被害者家族の両方となる場合もあります。
加害者家族が謝罪し、加害者が責任を問われて懲罰を受けても、被害者や被害者家族が失われたものは償われません。
しかし、さらに加害者家族を苦しめることは全く無意味。即刻止めるべきです。
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私はこのライターの主張に賛成する。

何故なら、法的観点からも筆者の主張は正しいと思ったからだ。

その根拠として、法の趣旨(ここでいう「法」とは主に刑法および民法を指す)はライターの主張するように全体(複数)ではなく個人(単体)が原則であることが挙げられる。

例外があるとすれば、加害者が未成年の場合の民事責任または加害者(成年・未成年に関わらず)が死亡した場合の民事責任の相続だが、ここでは論点がずれる為割愛する。

未だに「家制度」の名残がある我が国ではこの考え方を受け入れがたい人もいると思うが、もし「家族も連帯して責任を負うべき」という主張をする場合、その主張の意味するもの(行きつく先)をよく考えるべきだ。

それは容易に想像がつく。

おそらく究極的には、その一族または人類全体にまで責任が連帯するという結論に行きつくはずであり、現在の法理論からすれば妥当ではない(矛盾する)ものになるはずだ。

しかし、法の趣旨はそうではない。

あくまでもライターの主張するように全体(複数)ではなく個人(単体)が原則である。

これが、先述した例外や連帯して責任を負うべき規定に該当していたのであるならば話は別であるが、そうではない以上行為者本人以外に強制的に責任を負わせることは妥当ではない。

よって、当該ライターの主張は合理的であり、賛成に値するものであると言える。
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