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2016年07月31日01:38

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豊臣秀頼を淀の方が産んでからの豊臣家

豊臣秀頼が生まれ豊臣家の跡継ぎを産んだことで、淀の方の自己主張が始まった。

淀君の生んだ拾は豊臣家の世継となり、慶長二年(1597)、わずか四歳で元服して秀頼と名乗り左近衛少将に叙任された。そして、翌慶長三年八月、秀吉は伏見城で波乱の生涯を閉じた。享年六十四歳であった。翌四年、秀吉の遺言によって淀君と秀頼は大坂城に移った。以後、淀君は秀頼の後見をつとめ、実質的な大坂城主として振る舞うようになっていく

豊臣家における淀殿の地位は、どんどん高くなっていった。それは秀吉の死後、さらに顕著となる。正室ねねは剃髪して高台院となり、淀殿は大坂城に残った。表向き、豊臣家当主は秀頼となったが、後見として淀殿が権力を掌握するようになり、これから豊臣家の崩壊が
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