細川ガラシャ(1563-1600)は、信長に反逆した明智光秀の三女で戦国末期の武将細川忠興夫人になる
日本最初の女性クリスチャン(キリシタン)の一人とし て知られ、「ガラシャ」は彼女のカトリックの洗礼名で。本名は「細川玉という
文人武将であった父の血を引いてか幼少時から多感な女性であり、幸せな少女時代を送る。
夫細川忠興、その父細川藤孝(幽斉)は父光秀ともともと親しい間柄だったが信長に対し父光秀が謀叛を起こし、忠興、幽斉が反光秀となってより、夫とその父が自分の父と戦うことになり、父は敗死する。
周囲の状況も激変し、そのなかで、1587年ごろに玉はカトリックの洗礼を受ける。
秀吉の死後、関ヶ原の戦いを前にして西軍の総帥石田三成は東軍に投じた細川忠興をかく乱するため、ガラシャを人質にとる。だが、玉はあらかじめ覚悟し心で準備していたように、包囲した三成軍を前にして、武人の妻としてキリシタンとして、慶長8年(1600)年7月17日、燃えさかる炎の中に自らの意志により38歳で死を選んだ
キリスト教は自殺を禁じている。ガラシャはかって忠興から命じられ、自らそう決めていたように、家臣の刃を進んで受けての事だった
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