生前退位 は体力気力の衰えもあるが、平成を改める※「災異改元」も含む御心も有るだろう。
災異改元
http://www.kotono8.com/wiki/%E7%81%BD%E7%95%B0%E6%94%B9%E5%85%83
災異改元(さいいかいげん)とは、天変地異や災害などの災異を理由として元号(年号)を改めることである。
改元には大きく分けて5種があるとされる。
1. 代始改元:天皇の代替わりによる。一般には即位や践祚の翌年に改元される。
2. 祥瑞改元:吉事・吉祥を理由とする。飛鳥・奈良時代に多い。
3. 災異改元:天変地異・疫病・戦災などの凶事に際してその影響を断ち切る。
4. 革年改元:讖緯説による革令(甲子の年)・革運(戊辰の年)・革命(辛酉の年)に改元する。
5. その他:室町時代以後、将軍の代始に行われた改元など。
新井白石『折たく柴の記』下には、「古より此かた、我朝改元の例は、代始、または革命、革令、三合、天変、地妖、水旱、疾疫、兵革、飢饉等の事によれり」と記されている。このうち、「天変、地妖、水旱、疾疫、兵革、飢饉等」による改元が災異改元ということになる。
飛鳥・奈良時代から平安時代初期には代始改元または祥瑞改元が通常だったが、平安時代の醍醐天皇による「延長」改元から災異改元が始まり、その後は非常に多く行なわれるようになった。時代によっては改元の理由がほぼすべて災異改元と考えられる時期もあるほどである。
「明治」への改元の際に「一世一元の詔」が発布されてからは代始改元のみとなっており、その後の皇室典範や元号法により、災異改元は行なわれないこととなっている。
以下の災異改元一覧は、主に国史大辞典を参考にしてまとめ、日本国語大辞典で補ったものである。改元の理由を検索したものであり、漏れがある可能性もある。
目次 [非表示]
1 平安時代 1.1 10世紀
1.2 11世紀
1.3 12世紀
2 鎌倉時代 2.1 12〜13世紀
2.2 14世紀前半
3 室町時代 3.1 14世紀後半
3.2 15世紀
3.3 16世紀前半
4 安土桃山時代 4.1 16世紀後半
5 江戸時代 5.1 17世紀
5.2 18世紀
5.3 19世紀
以下略
世界大百科事典内の災異改元の言及
https://kotobank.jp/word/%E7%81%BD%E7%95%B0%E6%94%B9%E5%85%83-1322175
【陰陽道】より
…聖徳太子は冠位十二階や十七条憲法制定に陰陽道をとりいれ,国史編纂には国家の起源にこれを利用するところがあった。大化にはじまる元号制定は中国にならい,祥瑞改元(吉兆とされる現象をもって新しい年号をたてる陰陽道思想)によったもので,これは奈良朝を通じ踏襲されたが,平安朝に入るころから災異改元(天災地変など凶兆とみられる現象をもって新しい年号に代える陰陽道思想)に転じ明治維新までつづいた。白村江の戦以後,百済からの亡命や大陸留学者の帰還によって帰化人系陰陽家が多数活躍し,角福牟(ろくふくむ),僧法蔵,同行心,同道顕らが知られるが,朝廷では僧侶は還俗のうえ仕えさせたので,行心の子僧隆観は金財(たから),僧義法は大津首意毘登(おおつのおびといびと)と改めている。…
【改元】より
…日本における年号の使用は645年の大化に始まるが,その後断続があり,継続的に使用されるのは8世紀初頭の大宝,慶雲以降であって,改元行事もこのころから制度化したと考えられる。改元の理由にはおおよそ(1)代始(だいはじめ)改元,(2)祥瑞(しようずい)改元,(3)災異改元,(4)革命改元の4種がある。(1)は天皇の死もしくは譲位によって帝位の交代が行われた際のもので,即位改元ともいう。…
【元号】より
…次に祥瑞改元は,祥瑞を天意のあらわれとみて改元するもので,大化6年(650)2月穴門(長門)国司より白雉が献ぜられたので白雉と改元したのを初めとして平安時代にかけて行われ,とくに奈良時代には代始改元にもその半面に祥瑞改元の意味をもった場合が少なくない。しかし祥瑞改元が行われるのは平安時代前期までで,以後これに代わってあらわれるのは災異改元である。これは祥瑞を天意のあらわれとみるのと同じく,災異を天の誡めとみる考え方に基づいている。…
ログインしてコメントを確認・投稿する