指原の票数「243011」が物議、逆読み「110342(1位をさっしーに)」。
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落ち込みました。正直落ち込みました。
私はAKBは好きではないのですがAKB総選挙を見るのが楽しみでした。
私の予想は1位まゆゆ、2位珠理奈、3位指原。本心ではないものの、希望的リフレイン的な希望をこめてトップ3をこの順序にしました。
そして3位発表の瞬間に「指原!指原!指原!指原!」と念をこめて祈りました。
「ここで指原さえ呼ばれればそれでいい。ここは指原。ここで呼ばれなきゃかなりまずい。呼ばれるならここ。ここしかないここしかないんだよ!頼む!頼むよ!他はどうでもいいんだ!ここだけ!神様!頼むよ!ここは指原!ここだけ指原!指原!指原!指原!指原アアアアアアアア!」
おわった・・・
けれど願いは届きませんでした。3位松井珠理奈と呼ばれた瞬間、私のAKB総選挙2016は終わりました。私の中ではそこで完全に終わりました。
「もう無理だ・・・」
絶望しました。絶望的リフレイン。
それはまるで拉致されて拷問を受け無残に殺されていった人々のような。
老若男女問わず、理不尽な殺され方をした被害者のような。
この世には神も仏もいない。誰も助けてくれはしない。自分が今、生と死の境界線を彷徨っていることすら気づいてもらえずにここで死んでいくんだ。そう思いながら殺されていった人々のような。
そんな心のプラカードが見えるかのような・・・とても悲しい気持ちになりました。
そこからは放心状態で画面を見つめ、わずかな希望に一切期待せずに結果だけを待ちました。
もはや獲得票数とかじゃなかった。もう何も考えられなかった。まるで闇に覆われた世界の中で老朽化した建物が次々と崩れ落ちていくかのような。世界が崩れる音がした。
もうだめなんだ、と。
強者には勝てないのだと。正確には強者をバックにつけた者には服従するしかないのだと。
最強のパトロンを手にした者の前では弱者は地をなめるしか生きていく術がないのだと。
この総選挙は単なるアイドルイベントではない。日本を、そして世界の力、人間の力関係を表したものなのだと。これが現実かと。そう思っては絶望しました。
良い人間が報われるわけじゃない。誠実な人間が評価されるわけじゃない。もっと言えば結果を残した者よりも、より強い人間を味方につけた者が報われ、そして評価される。より良い暮らしができ、幸福を手にできる。
本来そこにあったはずの弱者の幸福を奪い取ってはより大きな富を手に入れられるのだと。
この世界のすべてを見せつけられたような、そんな気がしました。
であると同時に、「この世界」ではこれが常識なのだと理解しました。
これは美人を決めるためのものではない。かわいい人間を選ぶためのものでもない。
歌がうまい人間を選ぶためでもなく、踊りがうまい人間を選ぶためのものでもない。
では何なのかと。これはいったい何なのかと考え、すぐに結論が出ました。
これは強い者を選ぶための総選挙。よく目にする言葉ですが強い者が勝つのではない、勝った者が強いのだ、と。「この世界」での最強を決めるためのもの。そう実感させられました。
以前フジテレビではPRIDEという格闘番組がありました。そこに当時ミドル級の絶対王者と呼ばれたヴァンダレイシウバという選手がいました。
彼は次から次へと日本人を倒しては長期間に渡り王者に君臨し続けました。
格闘技というものにはそれぞれルールがあり、そのルールの中で最強を決めるというもの。
PRIDEというルールの中で。PRIDEという世界の中で彼と同等に戦える者はほとんどいませんでした。時に負けることもありましたが同じ階級において完全なる力負けという試合はありませんでした。
そんなことを考えながら指原莉乃の顔を見ていたらヴァンダレイシウバに見えてきました。
指原莉乃がヴァンダレイではなく、ヴァンダレイが指原莉乃なのではないかと錯覚してしまうぐらいヴァンダレイ指原シウバになってきました。
オーラがどうとか指原莉乃の背後に大きな力強い影が見えるとかではなく、指原莉乃の顔がヴァンダレイと同一なのだと。それは錯覚ではないと。完全に指原ヴァンダレイ莉乃シウバというブラジル人がこの世にいたのではないかと一瞬信じてしまうぐらい強烈なものでした。
日本人が負けて悔しい。当時PRIDEを見ていてそう思ったことのある人は少なくないでしょう。
しかし試合を見ていく内にこれは無理だと。強すぎると。これは勝てない。勝ってほしいだが難しい、と。
どうでもいいけどすごい顔だな、と。リズムに乗っちゃってもうなんかすごいねと。もはや指原だねと。指原がシュートボクセに行ったらこうなるんじゃないかと。
遠い昔に感じたそのやるせなさを思い出しました。
この世界では誰も勝てない。誰一人としてこの世界では勝てるわけがない。今後このルールの中で勝てる奴は出てこない。もしも王者が変わるときは彼が引退するときなのだと。
挑戦者を応援している人ほどその後襲ってくる絶望感はとても酷いものであったと思います。
しかし指原似のヴァンダレイシウバはPRIDEを去り、舞台をUFCに移します。
するとどうでしょう。PRIDEで披露した肉体は衰え、猛威を振るったパンチや膝はみるみると弱体化していきました。
結局その後もたいした結果を残せずに2014年に彼は引退しました。
彼にとってのその世界で通用した力もその外では通用しなかった。
AKBにも王者はいます。顔面センター初代王者前田敦子。その前田敦子と激闘を繰り広げたキャンタマ顔王者大島優子。そして今回連覇に成功したパトロンブス王者指原莉乃。
指原はこの連覇の際に自信に満ちた表情で前田敦子、大島優子の存在を持ち出しています。
それはまるで大陸でも見つけたかのような。パトロンブスが歴代最強なのだと誇示するかのように。
ですがスポーツなどの競技において昔と今を比較することは容易ではありません。
あらゆる競技に先駆者がいて、レジェンドと呼ばれる伝説のプレイヤーがいて、そして現代において最高と評価される者がいる。
しかしそこでも世界が違う。時代が違うと言った方がしっくりくると思いますが、時代によって微妙にルールが違っていたり環境が違っていたりする。
すべての条件が一緒で初めて公平な視点で比較、判断することができる。しかしながら人々の記憶というのは薄れていくもの。より新しく、よりインパクトの大きいものへ関心が移る。すごいと感じる。
もちろん時代の移り変わりにより様々なものがどんどん進化を遂げる。先駆者のプレイを見て研究し対策する。その対策されたものへ対抗し、攻略する。その攻略されたものを研究し対策する・・・現代に至ると。
しかし今。この今という時間の中で。この世界の中では指原莉乃が最強である。それは紛れもない事実であり覆ることのない悲しみである。認めざるをえない現実。
AKBのMVを見ていて思ったことがある。MVでショートコントのようなシーンが出てくるのがAKBだ。そこで浮かぶのはAKBメンバーの将来。
その多くは演技に挑戦。女優としての居場所を求めて戦っていく。
前田敦子は毒島ゆり子で濡れ場に挑戦。大島優子もウシジマくんで体こそ許さないが援助交際に挑戦。
それでは指原莉乃はどう進んでいくのだろう。女優なのかそれともタレントなのか。
アイドルは歌って踊る職業。握手の仕方を学んでは表情の研究をする。オタクの心を掴むような話術を学ぶ。しかしアイドルとして学んだものは女優にもバラエティタレントにも必要ない。
ドラマ、映画の演技。そして何より、オタクに合わせた会話ではなく一般視聴者が面白いと感じるような話術が必要不可欠になってくる。
MVにくだらない茶番を盛り込んでいるのは将来女優になるための最初のステップとして用意した関係者の思いやりなのではないか?(関係者は肉体関係者も含む)。
指原がバラエティに多く出演しているのも彼女の未来のため。トーク力、営業力。その場に溶け込む察知能力。そういったものは一朝一夕で築かれるものではない(枕営業も含む)。
すべてはすごく強い誰かが用意したステージで、未来に繋がるように仕掛けられたものなのではないかと。そう感じました。
僕たちは戦わない。
そういってアイドルとしてはあまりふさわしくない行動を取ったぱるる。モチベーションが低いですよアピール。
本来、芸能界で生きていくことは一般人から見て異常な世界で耐えるということ。
それが精神崩壊するのが当たり前だとしても、それは芸能界で生きている者にしかわからない。
あなたは考えるだろう。
なぜ指原莉乃が強いのか。
なぜ柏木由紀が手越と寝たのか。
なぜ松井珠理奈が遠い昔から20代後半に見えるのか。
なぜ山本彩が筋トレしてるのか。
そんなことはわかるはずがない。
なぜならあなたは「この世界」にいるのだから。
あなたは戸惑うだろう。
なぜこんなブスが。
なぜこんなにお金を。
なぜこんな老け顔に。
なぜこんな茶番に。
そんなことはあなたにはわからない。すべてが見えるわけじゃない。わからないものはわからない。
なぜならあなたは「この世界」から見ているのだから。
しかし残念ながらこの世界において絶望の形、絶望の量だけはその世界と変わらない。
なぜならどこの世界でも支配者は強者であるから。
ちなみにキャンタマ顔というのは皆が言うほど悪くない。伸ばしたキャンタマ袋は伸縮可能だ。
私はキャンタマ質感に可能性を見出してる。
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