mixiユーザー(id:1280138)

2016年05月13日04:57

366 view

或る女性の育児日記

妊産婦、4万人に精神ケア必要
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=3988691

友人のブログが、妊産婦の苦悩、周りの反応が詳細に書かれていたので
経験のない私にも、産後うつについて理解できる内容。

『《 やってきた悪魔 》

私の育児生活も、3日目を向かえ、
3時間おきにミルクを欲しがって泣くので少し疲れてきた。

そして、ダンナが会社に行くと、凪と2人っきりになる。
新生児状態の凪を連れての外出は、なるべく控えなければならない。
そんな時、凪に悪魔が光臨した。

「ぎゃーぎゃーぎぃやああぁああー」
と泣き止まなくなってしまった。

「いったいどうしたんだ!!」
焦った私は、とりあえず、抱いてみる。

「ぎゃーぎゃー!!」
・・・・。泣き止まない。
ミルクかな?でも、ついさっき飲ませたのに・・。

「ゲップが苦しいのかな?」
ゲップをさせてみる。

「げふ」
小さなかわいいゲップがでた。

「ぎゃーぎゃー」
でも、まだ泣き止まない・・。

「何ぃ!!今度はなんだ、オムツか!いや、汚れてない・・。」
頭の中で、考えられるだけの世話をしてみたが、凪は泣き止まない。

「一体何が気に入らないと言うんだ。コイツは・・?」
私の中で、かわいい凪が悪魔に変貌していった。

あの手、この手を使ってるうちに、
次のミルクの時間になった。(結局3時間泣きっ放し)

ミルクを急いで、作る。「待っててねー。今作るからねー」
凪の小さな口に、哺乳瓶の乳首を吸わせた。

「ちゅーちゅー、ゴクゴク」
凪は満足そうにミルクを飲んでいる。

泣き疲れたのか、ミルクを飲み干すと寝てしまった。

「一体、何だったんだ・・・。」
私は、びくびくしながら、病気じゃありませんようにと願うしかなかった。

そして、20分後・・。
またまた、「ぎゃーぎゃー」 と、泣き出した。

 

《 悪魔との戦い 》

昼間は比較的大人しく3時間おきに泣く程度だったが
夜になると、狂ったように、凪は泣き続けた。

一旦寝ると、なかなか起きないダンナもさすがに
「明日、仕事なんだよ!!うるさいな!!」 と、キレた。

仕方なく、私は、泣き叫ぶ凪と共に、リビングへ移動した。
その夜から、ダンナと私は、別々の部屋で寝ることになった。

一体何が気に入らないのか、ひたすら泣き続けている。
その顔は、まるで怒ったように真っ赤で、抱っこしても、
「嫌だー、離してくれー」 とばかりに、手を突っ張る。

かといって下ろしても、泣き止まない・・・。
とりあえず、ミルクを飲んでいる時だけは、泣き止んでくれた。

ふと、「なにかあったら、TELでも下さいね」
と、NICUで、言われた事を思い出し、深夜に失礼とは知りつつも、
藁にもすがる思いで、NICUに、TELした。

「あの・・・。すいません、泣き止まないんですけど・・・。」
「ミルクは飲みますか?便は正常ですか?」
等々、病気かと思われる質問をされ、すべて正常だと分かると
「じゃ、心配ないです。頑張って下さい」
といわれ、TELを切られてしまった。

「こんなに、泣き続けてもいいのか・・?!」
そう言いたくなる位、凪は泣いていた。酷い時は、「ぎゃーーーーーー」
と泣き過ぎて、息を吸えず、顔が紫色の『チアノーゼ』状態になった。

そして、夜が明ける頃、悪魔は休息を取りはじめるのだった・・。
朝、落ち武者になった私はダンナを会社に送り出し、
家事を済ませ、育児経験者の友人達に、悪魔との戦い方の情報を収集した。

凪は毎日、飽きる事無く、よく泣いた。
かわいかった凪が悪魔に占領されたかのように泣く。
だんだん、顔が泣きすぎで、むくんで、宮沢前首相に似てきた。

そうなるとますます、かわい気がなくなり、段々、私はウツになっていった。
食欲もなくなり、箸を持つのも面倒になった。

おまけに、ミルクで育てているのをいい事に、毎晩お酒を飲んだ。
おかげで、産後、すぐもとの体重に戻り、
私の腹は、梅干しのような状態になった。(皮が余ってしまった)

ダンナは仕事で帰りが遅く、誰も手助けしてくれない。
気持ちはどんどん危ない方向に向かって走り出した。

 

《 殺人計画 》

毎日、ロクに寝ることもできず、食事さえ受け付けなくなり、
段々、凪がうっとおしくなった。
「コイツさえいなければ・・・・。」
どこかで、そんなささやきを聞いていた。

気分転換しようと、ベランダに出ると、
「手が滑って落とした事にしようかな・・・・。」
と思ってしまい、慌てて、部屋に戻った。

お風呂に入れているときも、
「このまま沈めてしまおうか・・・。」
と思い、慌てて、沐浴を済ませた。

そして、泣き叫ぶ凪を簡易ベッドに寝かせ、
「ごめんね。今タバコ吸ってるから・・・。」
と、言いつつ、台所でタバコを吸っていた。

もはや、可愛いとさえ、思えなくなり、私の精神は蝕まれていった。
1分でいいから、凪のそばから離れたかった。
それでも、仕事をしているダンナに育児を変わってくれとは言えなかった。
一晩でいい、ゆっくり眠りたかった。

しかし、凪は逆撫でするように、泣き続けた。
しかたなく毎日、
「今日まで生かしといてやる」
と、誘拐犯よろしく考えていた。

 

《 落ち武者の戦い 》

凪が我が家に戻って、1週間・・。
私は戦場で戦い敗れた落ち武者になっていた。

とどめを刺すかのように、義父の具合は悪くなり、見舞いのため、
仕方なく、誰かに凪を預けなければ、いけない事態になった。

そんなときに、私の母が退院してきた。
母は、術後とも思えないくらい元気になり、老化した頭で、
凪の世話を必死に覚えた。(頭はフル回転)
おかげで、義父の見舞いにもどうにか行けた。

そして、ダンナが、実家の仕事の都合で、1週間家をあける事になった。
私は、自分が怖くなり、友達のN子に泊まりに来てもらうことにした。
凪と2人で、一週間もいたら、殺してしまう自信があった。
何かを手伝ってもらいたいというより、
私の殺人計画実行を阻止してさえ、くれればよかった。

N子は、年が離れた弟がいるので、嫌な顔せずばっちりサポートしてくれた。
しかし、彼女の都合も3日が限界だった。
それで、仕方なく、親友KRの家に1泊させてもらった。

完全にノイローゼになっている私を見て、
普段は、毒舌のKRダンナすら、
料理を取り分けてくれたり、親切にしてくれた。

KRは20歳で子供を産んでいるので、私にとっては大先輩。
心強い味方だった。(ちなみにKRは2人子供がいる)
しかし・・・。
やっぱり凪は泣き止まない。
原因は見当たらない。

さすがの先輩ママKRもさじを投げた。
私を心配してKRは次の日仕事があるのに、一緒に戦ってくれた。
明け方、KRのダンナが起きてくると落ち武者になった私とKRがいた。

翌日からは、母が泊り込んでくれた。
育児経験者の母でさえ、
「本当に泣きやまん子やねえ・・・。」
と、愚痴をこぼした。

しかし、私の尋常じゃない様子をみて、
「一晩中、みててあげるから一日ゆっくり眠りなさい」
と、言ってくれた。
気がかりではあったが、好意に感謝して眠らせてもらった。
そして、翌朝、やはり落ち武者になった母が 「おはよう」 と挨拶した。

 

《 やってきた救世主 》

落ち武者となった母は、ある秘策を思いついていた。
(さすが、先輩母!!)

朝のうちに、早速、おばの所にTELし、ゆりかごを送ってくれる様頼んだ。
そして、ゆりかごが到着し、乗せてみると、意外と塩梅いいようだった。

同じ、泣きやまない相手をするのも、
抱いているよりも、ゆりかごを揺らすほうが楽だった。

レンタルカタログを見ていた私が、そこで究極のゆりかごを発見した!!
「 電動ラック!!」( ドラえもん風に・・・。 )
スイッチをいれて、ポンっと一回揺らすだけで、15分間勝手に揺れてくれる。

ご丁寧に、オルゴールまで鳴る♪
まさに、地獄に仏だった。
殺人計画者に電動ラック!!

説明書には 「24時間乗せっぱなしはいけません」 と書いてあったが、
24時間泣きっぱなしなので、乗せておいた。

ついでに母が誰から聞いたのか、
「にわとりの絵を、逆さに貼ると夜泣きがなおる」
と、言い出して、私は下手なにわとりの絵を書いて逆さに貼り、
ますます凪を泣かせてしまった。(絵が怖かったらしい)

おかげで気持ちが楽になり、母も私も大いに喜んだ。
実家から戻ったダンナは、私達の苦肉の策を見て呆れていた。

 

《 一ヶ月検診 》

凪の退院後、初めての検診に行った。

1ヶ月検診は、赤ちゃんだけではなく、母親の産後の経過もチェックする。
私は産婦人科で、凪が異常に泣き止まない事、
私が、かなり気分がウツになっている事、
食欲がない事などをすべて正直に告白した。

そして、凪の検査を色々したが、どこにも異常はなく、元気そのものだった。
草食動物Drは、
「赤ちゃんは泣くのが仕事ですからねぇ・・・。」
と、相変わらず、穏やかに言った。

「ここもか・・・。」 
やはり光明は見えず、がっくり肩を落とし
『異常なほど泣くんだよっ!!』 と、心の中で悪態をついた。

しかし帰ろうとすると、看護婦さんにつかまり、
「夜中泣かれるとつらいよねぇ・・。そんな時は、いつでもここにTELしてね。」
と、言われ、思わず、涙が出た。(その日の夜中TELしたのは言うまでもない)

母乳については、「マッサージしてあげるから、しばらく通ってみたら?」
と、言われ、気分転換がてら、通ってみた。
しかも、婦長じきじきにマッサージしてもらった。

噂では、おっぱいマッサージは痛いと聞いていたが、
婦長がうまいのか、とても気持ちよかった。(しかし、飲ませられるほどは出なかった)
おかげで、気分が少しだけ楽になった。

 

《 要注意人物 》

私は毎日の戦いでとても疲れていた。
私の様子を見かねた母は、こまめに我が家に通い
大切な孫に私が手を出さないよう見張っていた。

もはや凪を、可愛いなんてちっとも思えなくなっていた。
電動ラックがきてからは抱かなくていい分、楽にはなったが
かといって、泣かなくなった訳ではない。

毎日「ぎゃーぎゃー」 ラックの上で飽きもせず泣いていた。
そんな時ふと、母子手帳の裏に 「巡回育児相談申込書」 
というのを発見した。

「これだ!!」 私は早速、はがきで、巡回相談を申し込んだ。
すると、若い保健婦さんが我が家に訪れた。

「育児について、悩み事はありますか?」
その保健婦さんは、とても優しい方で、(YUさんというかたでした)
私の言葉の一つ一つを拾うかの様に、話を聞いたくれた。

私は、話している内に、涙かとまらなくなり、ついに
「子供が可愛いと思えない・・。」 と正直に言ってしまった。
「皆さん、そうおッしゃいますよ(笑)」

YUさんは、そんな私をとがめることなくただ、ただ、私の話を聞いてくれた。
「気がかりな事があったら、いつでもTELして下さいね。また、来ますから。」
そう言ってYUさんは帰っていった。

それ以来、こまめに、TELをくれたり、
「近くに来たから」 と、我が家に寄ってくれたり、
私の心のケアを本当に助けてくれた。(YUさん、感謝してます。)

今になってよく考えてみると、
あの時、私は 『幼児虐待』 の要注意人物として
保健所からマークされていた事に気が付いたのだった・・・。

 

《 義父の他界 》  

電動ラックがやってきて、私の育児にようやく晴れ間が見え始めた5月・・。
以前から入院していた義父の具合が、悪化した。

もともと、心臓病を患っていたのに、インフルエンザにかかり、
心臓に負担がかかってしまったのだ。

それで、2月から大分の病院に入院していた義父だったが、
ついに大阪にある、心臓の専門の病院へ転院し、手術をすることとなった。

しかし、手術はうまくいかず、義父は危篤状態になってしまった・・・・。
そして、ある晩、深夜2時頃、大阪で義父の付き添いをしている
義弟から、TELがかかってきた。

「お父さんが明日にでも、亡くなりそうなんだ。明日、朝一番で
こちらの病院にきてくれないかな?多分、最後になると思う。」 と・・・・。

その日、ダンナは呑気に飲み会に行っていたので、
私は大慌てで、ダンナの携帯にTELした。

「あ、もしもし、私だけど・・・。」 バックからは呑気にカラオケの音が聞こえていた。
「・・・。」 プツッ、プー、プー。
切りやがった!

また、凪が寝ないと愚痴でも聞かされるとでも思ったのか!?
それから、しばらくして、TELが鳴った。
ダンナがかけ直してくれたと思った私は、受話器に飛びついた。

しかし・・。それはまた、義弟からのTELだった。
「ごめんね。ダンナ飲みに出掛けてて、連絡がとれないの。」
「!!とにかく、大急ぎでこっちに来てね。間に合わないかもしれない」

私は、ひたすら、義弟に、謝るしかなかった・・。
そして、ダンナが帰宅したのは、午前3時を過ぎていた。

朝になるのを待って、凪を母に預け、
私とダンナは大阪行きの飛行機に飛び乗った。

病院に着くと、私達以外のすべての人が集まっていた。
義父は、既に脳死状態だった・・・。

とりあえず、義父の顔を見て、私達は別室に集まり、今後の事を話し合った。
そして、その夜、義父は帰らぬ人となった・・・。

 

《 お通夜と告別式 》

凪を連れに福岡へ戻った私達は、大慌てで荷物を用意した。
もちろん、電動ラックも、ダンナの実家へ持参した。
私達の荷物はまるで、引越しのようだった。

ダンナの実家に戻ると、通夜の準備で親戚一同大慌てしていた。
長男の嫁の私は、ここ一番頑張ろうとしたが、
凪の大泣きで結局世話に追われ、大した手伝いも出来なかった。

しかし、凪を連れて行ったことは大いに喜ばれた。
義父が泣くなり、目を真っ赤に泣き腫らした義母の顔に、
パアアと笑み(いいのか!?)がこぼれた。
初孫なので、皆が口々に、「かわいい、かわいい。」と、笑いが起きた(本当にいいのか!?)。

しかし・・だ・・。
弔問客が来るとその雰囲気も一変した。
皆、殺気立っていた。

私は、凪を置いて、手伝おうとしたが、
「こんな所に寝かせたら、寒いよ」 と注意を受け、移動させた。
すると、別の叔母から、「こんな所じゃ、踏まれるよ」 と言われ、
仕方なく、家の中を遊牧民のようにさまよっていた。

そうこうしているうちに、弔問客も落ち着いて、ようやく静かになった。
今夜は兄弟交代で、通夜守りをする事になった。
まずは、凪を寝かせる為、3番目の弟と、その彼女が、担当した。

ダンナと私は凪を電動ラックに乗せ、仮眠をとることにした。
ダンナはすぐにグガガガと、大いびきをかき始めたが、
私は凪がやっぱり泣いて眠れなかった。

そして、私たちが通夜守りの時間になった。
その頃になって、ようやく凪は眠ってくれた。
私はダンナを揺り起こした。

「ちょっと、交代の時間だよ。起きて!!」 「うーーん、分かった・・。ムニャムニャ・・。」 
そう言いながらも、ちっとも起きない!!
どんなにゆすっても、叩いても、すぐにまた寝入ってしまった。

「ちょっと!!アンタ、自分のお父さんほったらかすの!!」 
しかし、ダンナは自分の父より睡眠欲を選んだ・・・。(この!!親不孝者!!)
仕方なく私一人で、お父さんの通夜守りをした。

義父とは、あまり話したことがなかったので、この時初めてまともに話をした。
ただし、一方通行だったが・・・・。生きている時もっと話したかった・・。

翌日、葬儀が、行われた。
またまた、弔問客であふれかえり、室内は線香の煙で充満した。
それで、凪を連れている私は出口付近に座らされた。
なんだか、孤立していて寂しかった。私も義父をきちんと見送りたかった。

しかし・・。火葬場では、忙しさが一変した。
1人のおばさんが「嫁はお茶くらい入れなさいっ!!」 と激怒したからだ。
私はあわてて、凪を放置し、お茶をついで回った。
すると、別の所から、「ちょっと、泣いてるよ」 と言われ、「はーーい」っと凪の元へ戻った。

親戚は、私の育児にいちいち、口を出した。しかし、誰一人手は出さなかった。
そのすべてが私を逆なでし、イライラはつのっていった・・・。
最悪の2日間だった・・・。

 

《 交代睡眠 》 

私の精神は限界にきていた。
仕方ないので、ダンナに、「一日でいいから、夜中の世話を変わって」 と頼んだ。
ダンナは思ったより、嫌な顔をせず、あっさりと「うん、いいよ。」 と言った。

私は、「じゃ、よろしくね。」 久々に私達は同じ部屋で眠った。
「ぎゃーーーー!!ぎゃーーーー!!」 
やはり、凪が泣き出した。 

しかし、今日はダンナに頼んでいるので、私はダンナが目を覚ますのを待った。
・・・・・・・。  起きない!!
こんなにうるさいのに、ダンナはピクリともしない!!
「ちょっと!!起きてよ!!今日は、世話かわってくれるんでしょっ!?」

私は、布団の中で、ダンナの足を蹴っ飛ばした。
「んん??ああ、泣いてるねぇ・・・。ふぁーーーわああ・・・。」
ダンナはノソノソと起き出し、台所に向かった。

私は、安心して、布団に潜りなおした。(喜) そこへ・・・・。
「ねえー、ミルクってどうやって作るの〜〜?」(え!おい!?)
「!!」 なぜ、今聞くんだ!!(怒) なぜ、起きてるうちに聞いておかないんだ!!
ダンナの要領の悪さに腹を立てながらも、仕方なくミルクの作り方を指導した。

「もう、大丈夫だから、寝ていいよ。」
「分かった、じゃ、大変だけど、頑張ってね。」 (一応気を使って優しくした。)
私は布団に潜り込んで、久々の睡眠をむさぼろうとしていた。
凪は、ンクンクいいながらミルクを飲んだ。そして眠ってしまったようだった・・。

「ねえ、寝ちゃったけど、ゲップさせないでいいのかな??」
私は、ダンナにまたもや起こされた・・・。(だから、起きてるうちに聞いとけって!!)
結局、その日も睡眠をとることは出来なかった・・。

凪が泣いても、ダンナが全く起きなかったからだ・・。 さらに、陣痛の時と同じように
「起きてるんなら、自分でやってくれよ!!」 とまた逆ギレされてしまったのだった・・。
仕方ないので、ダンナが深夜1時まで凪の面倒を見る。そこから、私が朝まで
凪と付き合うという、交代制を編み出した。しかし、寝つきの悪い私は、深夜1時まで
布団の中でしっかり起きているのだった・・・。

 

 

《 行儀の悪い赤ちゃん 》 

ようやく、首が据わり、私も育児に慣れてきた夏・・。
ある日突然、凪がミルクを飲まなくなった。
毎日、1000cc近くのミルクをぐいぐい飲んでいたというのに・・・。

私は心配になり、近くのK小児科へ駆け込んだ。
K小児科は決して大きな病院ではないが、とっても、アットホームな病院で、
Dr.Kは気のいいおっちゃんといった風だった。(K小児科は今でもかかりつけ)

「先生、急にミルクを飲まなくなったんです。」 私がオロオロしながら言うと、
「んじゃ、飲ませてみよう。」 と言って、ミルクを作らせた。

私は持参した哺乳瓶にいつもの量のミルクを作り、凪に飲ませた。
しかし・・。やっぱり飲まない。最初吸い付くものの、顔をそっぽ向けて、
「ギャー。」 と、泣き出してしまった。

Dr.Kは「 どれ、変わってごらん。」 と言って飲ませた。
「!!・・・。アンタ、これじゃー、ミルク飲まないよ・・。」 
「!?え??」
よくよく見てみると、哺乳瓶の乳首が古くなって裂けていた・・。(げ!)

乳首を新しいものに変えてやると、「腹減ってたんだよ!!」 
とばかりに、いつものようにぐいぐいミルクを飲み始めた。

私は大笑いされながら、K小児科を後にした。(オオボケ野郎だと思われてしまった。)
しかし、2〜3日すると、またミルクを飲まなくなった。
どんなに飲ませても、「ギャーギャー」と泣くばかりでちっとも飲もうとしない。

「もう!!いい加減にしてよっ!!」
キレた私は、寝転がったままの凪の口に、哺乳瓶を突っ込んだ。

何と!!飲むではないか!!今までどんなに頑張っても、
顔をそっぽ向けて嫌がってたくせに、満足そうにミルクを飲んでいる。
「何て行儀の悪いヤツなんだ・・・。」 そう漏らさずにいられなかった。

どうやら、抱っこされるのが暑かったらしい・・。 (楽でいいけど)
この行儀の悪い飲み方は、完全に定着していった。
家では問題ないが、外出先ではかなり、バツが悪かった。

皆さん、赤ちゃんの都合でこのような事もあるので、
決して冷たい視線を送らないで欲しい・・・。(願)

 

《 初めての発熱 》 

ある日、凪が熱を出した。初めての発熱だった。(38度)
病院に連れて行くと、 「喉が真っ赤に腫れてますね、多分風邪でしょうね。
お薬を出すのでそれで様子を見て下さい。」 と言われた。

お薬は粉薬と水薬の2種類だった。(とっても甘そうな匂いがした。)
旦那も私も一安心し、家に帰って凪に薬を飲ませようとした。

ところが!!
凪は「ギャーーー」っと泣きだして、嫌がってしまった・・。(こんなに甘い薬なのに・・。)
粉薬は、歯磨き粉状に水で練って、上顎に塗りつけなんとか成功したが、
水薬はどーーしても飲んでくれない。困った私は無理やり凪の口に薬を突っ込んだ。

刹那・・。まるでマーライオンのように大量のミルクとともに吐き出してしまい、
私達は汚物にまみれてしまった・・。(何て、頑固なやつなんだ・・。)

仕方ないので、もう一度K小児科に行きDr.Kに相談した。
「困ったね〜。仕方ない、同じ効果のある薬で一番飲みやすいのを本人に選ばせよう。」
Dr.Kはなんと!!薬を数種出してくれ、凪に味見をさせた。

おかげでようやく素直に飲んでくれる薬が見つかり、薬のせいでひたすら眠り続けた。
ぐっすり眠ったのが良かったのか、薬が効いたのか凪はみるみる回復していった。

ちなみに、風邪の原因は、旦那が暑さに負けて
クーラーの風を凪に直撃させたからだった。(全くもう!!気をつけてくれよ!!)

 

《 寝返り 》

『生後5ヶ月過ぎ頃から、寝返るをする子が多くなってきます。』
育児書にはそう書いてあった。私は、今か今かとその日を待ちわびていた。

毎日、頭を持ち上げたり、「ヴーーン」っと唸りながら、もごちゃかしたり
何度も練習を本人なりに繰り返していたが、まだ一度も成功していなかった。

しかし、その日はついにやってきた。
それは、8月14日お盆で旦那の実家に帰省している時のことだった。
義父が亡くなったため、実家には親戚がわんさか押しかけていた。

丁度、夕食前にみんなでくつろいでいる時に凪が
「ヴーーン」 っといつものように寝返りの練習を始めた。

「おお!頑張れ!頑張れ!」 「あと少し!!」
みんな一丸となって凪を応援した。

そして・・・。『コロンッ!!』 「!!」 (歓声&大拍手&狂喜乱舞)
親戚一同見守る中、凪は初めての寝返りを成功させたのだった!!

「偉いぞ!!凪ちゃん!!」 「よく頑張ったねー」 みんな口々に凪を褒め称えた。
中でも、ダンナの叔父は感激し、「偉いぞ!!よし、おこずかいをあげよう!!」 と言って
一万円札を凪に差し出した。(!?) さすがはダンナの叔父だった・・。

かわいそうなのは旦那だった。
運悪く、お使いで出かけていて、世紀の一瞬を見逃してしまったのだった・・。(残念でした)』
2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する