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2016年05月10日22:21

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対・反天連戦線 昭和62年8月15日(約29年前) 國士舘大學國防部・荒木雅弘氏(当時)の軌跡

対・反天連戦線 昭和62年8月15日(約29年前)
國士舘大學國防部・荒木雅弘氏(当時)の軌跡
http://hirihoukenten11111.blog.fc2.com/blog-entry-2242.html



今から約29年前、昭和62年8月15日、大東亜聖戦終戦の日、東京都千代田区の九段下交差点付近にて、 天皇陛下を貶め、誹謗中傷する反天連を襲撃せしめ現行犯逮捕された、当時・國士舘大學國防部の荒木雅弘氏(愛知県出身)。

荒木雅弘氏による反天連に対しての直接行動。

不敬極まりない反天連のデモの構成は、20人くらいだった。

九段下の交差点から靖国神社に向かう登り坂を靖国神社方面から、九段下交差点に下って来たところが当該現場。

その日、雨が凄く降っていた。九段会館で「8・15青年集会」をやるために日本学生同盟(略称:日学同)は動員を掛けていた。

同集会は、重遠社・三浦重周氏(故人、割腹自決 平成17年12月10日)、森田忠明氏(経団連襲撃事件)が挙行。


同集会のため九段会館の控室で昼食、打ち合わせをしていた。

日本大学の後輩が「荒木さん、なんかやってますよ」と言ってきた。

5、6人で、当該現場に行った。

構成は、国士舘大学、中央大学、駒澤大学。

「8月15日にどういう趣旨でこういうことをやっているのか」と反天連に問い質した。

すると、後ろで、中央大学の後輩が、乱闘を始めていた。

先ず、言説には言説でと思っていたら、反天連2名に羽交い絞めにされて、もう一人の反天連に顔面右頬を殴られた。

話し合いもへったくれもないので、当該反天連の右頬を殴った。

相手がカメラで写真を撮ろうとしていたので、それを排除して、振り返った時、ビデオカメラで撮影していた者(某地上波だったとのこと)がいたので、それを排除しようと正拳で殴ったら、ファインダーが壊れた。

その後、中段の回し蹴りを喰らわしたところ、警備に当たっていた機動隊に現行犯逮捕され、そのままパトカーに乗せられて麹町警察署に連行された。

(補足)平成8年時の反天連デモでは、荒木雅弘氏の仲間が街宣車を廃車同然に破壊し、逮捕されたとのこと。
尚、この時には「戦旗・共産主義者同盟」(極左暴力集団)が反天連側の陣営で、同・反天連デモに参加していたとのこと。

荒木雅弘氏談:反天連・平和遺族会は、毎年8月15日に九段下駅周辺で警視庁機動隊に守られなごらデモ行進を続けている。
敗戦と戦没者を悼む日本人の心を逆撫でする愚行に他ならない。
平成8年のデモ行進は、反天連・平和遺族会に加え過激派・戦旗共産同が動員されていた。
我々民族派有志15名(〇〇塾、〇〇同盟突撃隊他)は、九段下交差点でデモ隊を暴力的に排除するべく待機。
神田神保町方面から歩を進めるデモ隊200名の隊列を確認するや一斉にデモ隊を襲撃。
警視庁機動隊を交えた三つ巴の大乱闘を繰り広げたのだった。
結局逮捕者は1名。
〇〇塾の猛者・〇〇同志が、デモ隊の宣伝カーを廃車同然にした器物損壊罪で現行犯逮捕された。
全国7ヵ所に警視庁の家宅捜査が入ったと記憶している。(転載、一部伏字)

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(所感)

昭和62年当時から、反天連のあの不敬極まりないデモが行われていたとは、許されざる暴挙を長年に渡り行ってきている事実から、反日抗日をその活動の要諦とする係る集団らに激しい怒りを覚える。

荒木雅弘氏は、日本学生同盟(略称:日学同)の委員長を務めていたと聞く。

昭和45年11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で、楯の会・三島由紀夫烈士を介錯し、自決された楯の会・森田必勝烈士は、日学同同盟員で、全日本国防会議・初代議長、同会議には、近畿大学国防部、早稲田大学国防部などが加盟。楯の会・初代学生長。
早稲田大学国防部。(森田必勝烈士経歴ソース:荒木雅弘氏)

現下、対・反天連戦線は多くの日本を憂ふる有志により、抗議行動が行われているが、約29年前にこの様なことがあったことに憂國の至情を垣間見る思いである。


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楯の会 森田必勝烈士 自決没後45年・祥月命日 墓参 「青年日本の歌」奉唱 「三島由紀夫烈士 檄文」奉読
皇紀2675年・平成27年11月25日 (三重県四日市市大治田町) 敷島通信
http://hirihoukenten11111.blog.fc2.com/blog-entry-2219.html

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日本学生同盟
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%AD%A6%E7%94%9F%E5%90%8C%E7%9B%9F
日本学生同盟(にっぽんがくせいどうめい、略称:日学同)は、民族派学生組織の一つ。
全国学生自治体連絡協議会(略称は全国学協)と並んで民族派学生運動の双璧を成した。

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重遠社
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E9%81%A0%E7%A4%BE
重遠社(じゅうえんしゃ)は、民族派青年組織の一つ。日本学生同盟(略称は日学同)のOBらによって結成された。
概要
1966年(昭和41年)11月14日に結成された日本学生同盟(初代委員長齋藤英俊)は、「ヤルタ・ポツダム体制打倒」「自主憲法制定」「自主防衛体制確立」「北方領土奪還」「全学連打倒」を掲げて大学を中心に活動してきた。
日学同委員長を経験した三浦重周は、大学卒業後も政治局長という立場で学生を指導してきたが、1977年(昭和52年)4月29日には社会人戦線としての重遠社を結成し、自ら代表に就任した。
重遠社の名前の由来は、1945年(昭和20年)8月14日の終戦の詔書の一節「任重クシテ道遠キ」にあるという。

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経団連襲撃事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%8C%E5%9B%A3%E9%80%A3%E8%A5%B2%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6
1977年3月3日に起きた立て篭もり事件。
概要
「憂国道志会」の野村秋介、楯の会の元実動部隊班長・伊藤好雄と元会員西尾俊一、大東塾元塾生・森田忠明の4人が“YP体制打倒青年同盟”を名乗り、“戦後体制の欺瞞に鉄槌を下す”目的の下に、ピストルと猟銃と日本刀を携えて経団連会館に侵入し、職員12名を人質に取って会長室に約11時間監禁籠城した。


経団連襲撃事件 檄文の紹介
http://ameblo.jp/tyoo-o/entry-11941420802.html (以下、転載)

 三島由紀夫・森田必勝烈士と楯の会会員が、自衛隊を衷心から敬愛し、かつ信頼していながら敢えてあの市ヶ谷台の挙に及んだに等しく、われわれも敢えて今日この「檄」を日本財界首脳諸氏に対して叩きつける。

 大東亜戦争の敗北によって、廃墟と化した戦後日本の復興に、財界が少なからぬ寄与をし、如何にその指導的役割を果たしてきたか、これまでの歴史的事実を、われわれは決して軽んずるものではない。

 しかしその反面において、諸君らの営利至上主義が、どれほど今日の日本を毒し、日本の荒廃と混迷を促し、社会世相の頽廃を煽ってきたか、その罪状看過すべからざるものがある。

 ロッキード疑獄が投じた政治の混乱は、国民の政治不信を抜き差しならぬところまで追い込み、自由社会の根幹をすら揺るがすに至っている。

 それだけではない。

 日本の文化と伝統を慈しみ、培ってきたわれわれの大地、うるわしき山河を、諸君らは経済至上主義を持ってズタズタに引き裂いてしまった。

 環境破壊によって人心を荒廃させ、「消費は美徳」の軽薄思想を蔓延させることによって、日本的清明と正気は、もはや救い難いところまで侵蝕されている。自ら生んだ子供をコイン・ロッカーに平然と遺棄する異常の社会を、君らは、君らが意図したか否かは別として、現実として構築し続けてきた。

 営利至上主義の犠牲となった薬品公害患者の苦悩を、君らは一度でも、真摯に顧みたことがあるのか。

 水俣病患者・スモン病患者の心痛に対して、一度でも敬虔な反省をもったことがあるのか。

 大昭和製紙等に見られる無責任きまわるヘドロ公害、または瀬戸内海を死の海へと追いたてている現実の大企業体質を、君らは一度でも虚心に直視したことがあるのか。

 祖国民族あるを忘れ、大衆国民のあるを軽んずるこの天を恐れぬ諸君らの所業は、必ずや日本を、否、全人類をも亡ぼすこと必至である。

 しかし、われわれの悲願は、ヤルタ・ポツダム体制そのものの打倒にあるのだ。したがって、諸君らのみをたんに弾劾するつもりはない。

 日本は、大東亜戦争の敗北によって無条件降伏を強いられたが、アメリカを中軸とした戦勝国は、戦後処理を徹底的に日本民族の弱体化に置いて敢行して行った。瞭然たる史実である。

 その結果が、現今、眼前に晒されている日本の姿である。物質的に豊かになったと言う美辞に弄されているのは錯覚である。

 日教組の目に余る偏向教育は、青年たちから夢や浪漫や祖国愛を奪い、連帯感や責任感の喪失を顕著にして重大な社会問題を提し、マスコミ、殊にマンモス化した新聞の横暴と跳梁は心ある人々の慨嘆と怨嗟の声を集めている。政治の混迷は祖国日本の基盤そのものさえ揺るがし始めている。

 東洋の君子国と謳われた日本の栄光は、いまやかけらほども見出すことができない。

 すべては日本民族の弱体化を眼目としたヤルタ・ポツダム体制の歴史的呪縛にその源泉を見る。だがしかし、この三十年間に及ぶ戦後体制を最も強力に支えて来た勢力が、金権思想・営利至上主義の大企業体質そのものであったことも韜晦をゆるされぬ事実である。

 われわれはかくのごとく断じ敢えてこの挙に及ぶ。

 古代ローマは平和を貪ることによって自ら亡んだ。祖国日本が同じ轍を踏むのを座して看過できない。

 日本を亡ぼしてはならない。

 営利至上主義のために「祖国」を見失ってはならない。

 憲法改正!
 安保廃棄!
 天皇陛下万歳!

YP体制打倒青年同盟  

 日本財界首脳諸君へ

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明治節 國士舘大学(明治神宮 昭和40年頃11月3日)  國士舘大学國防部



国士舘舘歌


作詞 柴田徳次郎/作曲 東儀 鉄笛

1.霧わけ昇る陽ひを仰ぎ
  梢に高き月を浴び
  皇国みくにに殉ゆるす大丈夫ますらおの
  ここ武蔵野の国士舘

2.松陰の祠しに節を磨まし
  豪徳の鐘気を澄すます
  朝な夕なにつく呼吸いきは
  富嶽颪おろしの天の風
  
3.区々現身うつしみの粗薪あらまきに
  大覚だいかくの火を打ち点ともし
  三世十方焼き尽す
  至心の焔ほのおあふらばや

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