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2016年04月29日11:53

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2016年4/17〜4/26スペイン・ポルトガルの旅10日間

情熱のスペインと哀愁のポルトガルを旅してきた。
テロの影響が懸念されたがドイツのフランクフルト空港も平穏で、帰りの空港で聞いたベルギーオランダを旅したツアー客の話では、夜間外出禁止だったが、それ以外は問題なかったという。フランクフルト空港に降りたのは2回目で、平成25年8月にドイツ〜スイス〜フランスも旅した時ドーハからフランクフルトに降りた。この時はカタール航空。今回は往復ルフトハンザ航空。
スペインは正式国名はエスパーニャ王国。面積は日本の約1.3倍でヨーロッパではロシア、フランスに次ぐ大きさである。人口は約4600万人。通貨はユーロ。時差は日本より7時間遅い。
ビジネスアワーは、有名なシエスタ(昼寝)の為、長い昼休みがある。平均的市民は昼食は家でとり、午後3時頃まで昼寝を含んでのんびりと休息をとる。レストランは20〜24時の店が多い。長くイスラムの支配下にあったことからナポレオンをして「ピレネーの向こうはアフリカ」と呼ばしめた国。闘牛・フラメンコ・ドン=キホーテ・カルメン・ガウディ・ビカソ・ダリ等に代表されるように”光と影の国”とも呼ばれる。
伝統料理のパエーリャをはじめ、スペイン料理に欠かせないのがオリーブ油で世界一の625万トンを産する。スペインは又、ポルトガルと共に大航海時代の先陣を切った国として知られる。日本との交流も1549年の宣教師ザビエルの来日に始まり、84年日本から天正遺欧使節が初めてスペインの地を踏んだ。現在でもメリヤス・シャボン・カステラといったスペイン語を語源とする外来語が日本語に採り入れられている。

簡単なスペイン語を覚えておこう。「こんにちは」はオラ。「おはよう」はブエノスディアス。「さよなら」はアディオス。「はい」はシィ。「ありがとう」はグラシアス。「水」はアグア。教会はイグレシア。出口はサリーダ。城はカスティーリョである。

4/17,関空発10:05ルフトハンザ航空でフランクフルトには、現地時間14:40着。乗り換えて
バルセロナには2時間かかって19:30着。この日はバルセロナのホテル泊となった。
4/18,朝ホテルも出発。スペインが誇る天才建築家ガウディの代表作ともいえる、サグラダ・
ファミリア聖堂を訪れる。個人の寄付によって建設されることを前提に計画された、贖罪教会なので一時は「完成までに後200年」と言われていたが、昨今の急ピッチで進む工事と入場料
を700円値上げして3000円としたおかげで、2026年完成予定となった。
ここのガイドはバルセロナ州立大学を卒業した、日本人の女性でした。入場者は一日6000人、多い時で9000人来場するという。「生誕の門」上部の緻密な彫刻は、日本人建築家の外尾氏が携わっている。受難の門には「天にましますわれらの父よ」という日本語も彫られてあった。大聖堂の周囲の全ての外陣の扉が出来上がると、この大聖堂は8000人を収容する礼拝堂になる。
バルセロナは人口約170万人。スペイン第2の都市で、地中海の温暖な気候で一年365日のうち
300日が晴れだという。バルセロナのシャンゼリゼといわれるグラシア通りにあるカサ・ミラ
とカサ・バトリョを車中見学してグエル公園に向かった。
グエルはイギリス風の静かな住宅街をバルセロナに造ろうと考えたが、資金面などの問題で
途中で工事が中断され、ガウディが住んでいた家は現在は、博物館として利用されている。
昼食後、スペイン新幹線に乗り、約3時間でマドリッドに着いた。マドリッドで連泊となる。

4/19火曜日,ホテルを出発。約70km離れたトレドに向かう。
中世の面影を残し、タホ川に囲まれるように建つトレドはスペインの代表的画家エル・グレコの町でもある。ベラスケス・ゴヤと並んでスペイン絵画の三大巨匠の一人といわれるギリシャの画家である。

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