■発達障害者配慮なく=避難所入れず物資困窮―家族ら「無理解を痛感」・熊本地震
(時事通信社 - 04月26日 05:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=3965001
人を助けるのに、自分が死んでもいいというスタンスの人は滅多にいないからねぇ。まずは自分、というのを抑えて、とりあえず「並ぶ」っていう行為を我慢してる状態で、発達障害です、老人です、という形で、優先枠を作ることがどの程度可能なんだろう?下手なルール作ると逆に混乱を招くことになりそうだ。
もちろん、現状のように無理解放置はまずいんで、取り急ぎ対応マニュアルの整備と周知徹底は必要なんだけども。
災害のときは、一般人立ち位置の人らも「被害者」ポジションで救援受ける側なわけで、その状態でさらに誰かに気を遣え、って要求する形って難しい。
水の配給を受けるのに、障害ある人が並ばなくてよくて、小学生のわが子は親と一緒に外で立って2時間待ち、みたいな事態を想定して、極限状態で皆が納得するような論理ってどんなものがあるのだろう?
そもそも、極限状態で論理やモラルってどれぐらい通用するのか? みんなが不都合を抱えてるときには譲り合いに限界が来るのは必然なので、クソの役にもたたんキレイゴトのマニュアル化ならともかく、現実的な対応ラインのマニュアル化……どういう風に考えたらいいのか、とっかかりがつかめない。
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