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2016年04月15日07:15

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4/11世界なぜそこに日本人?と言う番組のメモ。アフリカに移住した70代の男女

感動をしたので、番組のメモをここに転載します。
メモなので、文章が荒れていることはご容赦下さいね。

タンザニア
七〇歳の日本人が単身で移住。キリマンジャロの麓の町。
ムサマリアの駅に時々現れるという。
現在七五歳。
msamaria、Center for street children
桑波田恭行’(くわはたやすゆき)ムサマリア孤児院、4=15歳三八人が暮らしている。

一日一五〇円以下で暮らす人が多い。一八歳以下の子供で一割が孤児。
子供が一日鉄くずをあさってその売り上げが一日三〇円。キャッサバのフライをこれで買うと何とか一日生きていけるという。

孤児院が資金不足だと耳にして、三ヶ月かけて、鶏小屋を建設し、ここで鶏を飼っている。
週に一度は牛肉を買ってきて食べさせているという。

ホテルの屋根裏部屋で電気もない生活。停電が多いかららしい。

月二十万円の年金で生活費を切り詰めて、孤児院に捧げているらしい。
水洗便所は部屋にあるらしい。しかし、湯船は?
朝五時に起床。
電気コンロに三〇分載せて、米を炊いている。
オクラと大根を切り混ぜ、醤油をかけて食べるという。
ウブユニ市場で買い物。かなり強引な物乞いに追いかけられたりする。
オクラ一袋三〇円。
だらだら(乗り合いバス)片道二〇円。
バスの中は、すりが多い。

味のない焼きとうもろこしが一つ二〇円。
毎日、夜は現地で一番安いビールを一本飲んでいる。
一年前にタクシー強盗に遭った。運転手もグルで、タクシーの中で暴力を振るって、カードを奪い、暗証番号を言えと言って脅し、なぐられたという。それ以後は靴底にキャッシュカードを入れるようにしているという。
タンザニアのとうもろこしは甘みがないため、日本のとうもろこしをタンザニアで栽培し始めたと言う。
3〜4ヶ月で収穫。
一年中、栽培、収穫ができる。
しかし甘いためにアリに食べられてしまって全滅した。
1941年高知県生まれ。
父は土讃線の駅で駅長。時々やってくる進駐軍にGive me chocolate,Thank you.と言ってはチョコをもらい、海外への憧れを持ったという。20歳で建設業界へ。海外に派遣。
道路造りをしてきたと言う。
1976年から2年間、タンザニアに派遣。

40歳で結婚し、一人息子も無事育つ。
2011年、70歳で思いついて、タンザニアへ。
Mkombozi孤児院へ。
収容所のような孤児院で、子供は悲惨だった。
桑波田はそこで子供に財布を盗まれたという。
そこで雛を五〇羽購入し、養鶏を始めた。
まずは鶏小屋作りを孤児院の脇で始めた。
子供が手伝ってくれたという。
それは財布を盗んだ少年だったという。
2週間で完成。
五ヶ月後には卵を産むようになったという。
だがこの直後、タクシー強盗でカネが消えて、日本に帰国した。
再び孤児院に行ってみたら、孤児院は閉鎖されていた。
孤児も消えて、ニワトリも消えていたという。
町で探したが、子供は一人も見つからなかったという。
この孤児院の跡地が今は、とうもろこし畑となったという。いつか子供達が帰ってくることを祈って、この跡地を畑にしたのだという。



都まるつや子(とまる)
東京生まれ。父は公務員。
9歳で父が脳溢血で急逝。12歳で母(52)も心臓発作で死亡。16歳の兄が親代わり。
高校を卒業し、夜間の専門学校を卒業。24歳で保育士に。以後、独身を通した。
60歳のときに、「沈まぬ太陽」の著者山崎豊子講演会に出席し、臨席の男性と話していて、ケニアの学費を払ってくれないかと誘われた。
彼はケニアで孤児院を運営している。
一万円で1年間、子供が学校に通えるという。
その後、69歳でケニア旅行。その貧困ぶりにショックを受けたという。シンナーを吸う子供が多いことに驚いたという。
気球に乗ろうと思って三〇万円を持ってきていた。
この資金を丸ごと使って、ガマ村に学校を建設したという。
建てた以上は責任を持ちたいと思い、72歳でケニアに移住した。

タンザニア国境のキリマンジャロを望む村に暮らす。
村では、水は1リットル3円で購入。
平均一日150円で村人は暮らしている。
赤土で衣服はすぐに泥だらけになるという。
やはり停電が多いらしい。
太陽光充電式のライトを使っている。
2010年に73歳でケニアに移住。
隣にガマ村。
彼女が発起人となって作り上げた学校がある。
堀っ建て小屋を立てて、生徒数70人。六年後の今、生徒数200人。
「サウスマウント小学校」の初めての卒業式を今年、行った。小学八年生一四人の卒業式。これからは高校に進学するという。日本の民謡が聞こえる。
3歳〜6歳児を教える幼稚園(併設)では日本語も教えている。
放課後は小学生達と遊ぶ時間。剣道ごっこや日本語会話など。裁縫も教える。
その後は、ロイトクトク野菜市場で買い物。

大家は73歳の女性のメリー。メリーの家の離れを借りている。
夕食も一緒に作って、一緒に食べるという。良さそうな包丁。
夜は背中や腰のマッサージをしてあげるのだという。

卒業式では日本語で話をしていた。子供達も日本語ができるのだろうか?
髪は茶色に染めているらしい。
「死ぬときは人生に悔い無し。」だと。
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