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2016年03月22日22:46

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☆地下鉄サリン事件から21年目☆

以下は、横浜クリニック院長、当該NPOヒューマンセンター21理事の青木晃先生のFBへのUP記事です。

◇特定非営利活動法人(NPO)ヒューマンセンター21
  http://humancenter21.org/directors.html

【記事】
3月20日は地下鉄サリン事件から21年目でした。各メディアでも当時の事件の様子を振り返る番組や記事が多く出たようですね。何人かの方が、僕のことが出ている記事やサイトを知らせてくれました。
自衛隊医官として聖路加国際病院に派遣されたあの日のことは、今でも鮮明に覚えています。
陸上自衛隊の医官は防衛医大卒後、特殊武器防護、特殊武器衛生というNBC兵器を使われた際の医療について勉強するカリキュラムを受けることになっていて、丁度その過程(3度目の教育過程で上級幹部過程=AOCという)を終了したばかりだったのです。
事件の一週間前のAOC卒業試験では、「隊員が神経剤に暴露した際に呈する臨床症状を5つ書け。そしてその際に行うべき処置を書け。」という問題が出ていたのです。
たまたま派遣された聖路加のトライスラーホール(礼拝堂)に担ぎ込まれた受傷患者を4〜5人診察したところですぐに神経剤中毒であることがわかりました。試験で解答した〈自分または近くの人の瞳孔が小さく帽針頭大になる〉、〈瞳孔収縮により視野がなんとなく薄暗く感じられる〉、〈眼が引っ張られるような軽い疼痛を感じる〉、〈胸部圧迫感または拘縛感がある〉、〈呼吸困難を感じる〉という訴えを患者が言っているのです。
「サリンかどうかは同定できませんが、サリン、ソマン、タブン、VX等の神経ガスによる中毒症状を強く疑います。初期治療は硫酸アトロピン0.5〜2.0mgの投与、解毒剤としてのPAMの使用です。ここにNATOと米軍で使っている特殊武器に対する医療マニュアル(これもたまたま持って行っていた)があります。上級機関に許可を得ていますので、関係各所に配布して頂いても結構です。」と、日野原先生に進言しました。当時の日野原先生の手記が書かれた日本医事新報にも始めにサリン中毒であると診断したのは自衛隊の医師であることが書かれています。
その後いつの間にか、信州大学からの情報提供であるとか、聖路加の救急医のIドクターの手柄にすり替えられてしまっていましたが…(苦笑)
確かに、自衛隊の手柄が世の中にはあまり出ないようなご時世でもありました(3.11における自衛隊の活躍も表に出ていないものがありますが当時ほどではないですね)。
僕だけではなく、化学学校や補給処など自衛隊が裏では相当貢献していたことはあまり知られていません。真相はノンフィクションライターの麻生幾氏の「極秘捜査」に詳しく書かれています。
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