別れを前提に人は出会う。
一見すると後ろ向きに思える言葉もよく考えると避けられない事実であり、自分にはこの言葉は前向きに思える。
自分は幸せな瞬間でも、ふと心に空虚な孤独が去来する事がある。
それも幸せなら幸せと強く感じる時に強く思う。
とことん突き詰めたら幸せと虚しさは共存関係にあると感じる。
太宰治の言葉を借りたら『不安と恍惚』だ。
アンビバレンスという言葉にたどり着くまで30年かかった。
愛を考えると憎しみも一緒に考えなくてならない。
それが苦しいなら「好き」だけを追求すればいいだけだ。
小学生の時、マーマレードボーイというアニメが日曜日に放映していて主人公の女の子が「幸せすぎて壊れてしまうのが不安」と言うシーンがあった。
このアニメは少女向けなので妹が見ていて、その当時狭い家に住んでいてTVは一つしかなかったので、自分も兄も一緒に見ていて兄はその言葉に対して「馬鹿じゃね」と言っていたが、自分はその通りだなぁと思っていました。
その不安を憎み戦った時もあった、しかしそれは幸せをあえて受け取らず脳にタガをはめていただけだった。
それは敵前逃亡に過ぎなかった。
(今はこの感覚は敵でもなければ味方でもない自分の今の状態が決めている事象に過ぎないと認識しています。)
三十代になって思う事は、自分の悩みコンプレックスの答えは全て過去にあり、問い合わせると仕組みがわかり悩みではなくなる事でした。
二十代の時はその心の領域に入ると怖くて考えられなかったな。
今では別れを前提に人は出会うので、それならさらに今を強く受け取り自分から心?を開いていく事でした。
(しかしまぁそれだと周りからはテンションが高すぎに見えるらしく、なかなか噛み合わないという新しい問題も生じます。そこでまた新たな孤独に苛まされます。なので自分の次の課題は時と場合を考える事です)
最後にやはり答えを出してくれた過去、これは日記の『初恋』の中に書いた言葉を抜粋
・【私の初恋の、みなこ先生は私の頭にそっと手を乗せて「何も考え無くてもお花はキレイなんだよ」と一言だけ断言し言い切りやさしく微笑んだ。
私は一瞬にして救われた。
とてつも無く解放され体が宙に浮いている感覚を味わったのを今でも覚えている。
はっきり言って、心に直に感じてしまう事柄の前では理論は無力であり、だからこそ人生は楽しい】
幸せの中でも不安を感じる事なく、不安は幸せの付着物と認識できて、今では幸せを素直に受け入れられるようになりました。
『初恋』
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1936139553&owner_id=53828642
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