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2014年09月14日07:24

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九段の御社で、さやうなら

九段の御社で、さやうなら


陸軍上等兵 豊里 陳雄 命
鉄血勤皇隊
昭和二十年五月二十八日
沖縄本島兼城村第六十二野戦病院にて戦傷死
沖縄県立第一中学校三年生 十五歳


母上様に告ぐ


お母さん、首里の都もたうとう戦の庭と化しまして、自分等も鉄血勤皇隊として軍服姿に身を固め、英米撃滅に邁進したのであります。

沖縄の戦場も何時かは勝ち戦の時期が来るのですから、母上様には御体を大切にされまして、勝ち戦を待つて居て下さい。
自分の事は、如何なる時にも心配しないで下さい。
そして、小生を御国の為に働かして下さい。自分も良き死場所を見つけて、御国に御奉公するつもりです。

お母さん、 自分の働きぶりを見て下さい。
九段の御社で、母上様さやうなら。

散るべきときに散つてこそ
男と生まれし甲斐はありけり

豊里 陳雄


[昭和六十年靖国神社社頭掲示]


戦場となった沖縄では、米軍上陸の際、男子中学生も軍人として、女生徒は軍属として、部隊や野戦病院に配属されることになり、十四歳以上の男子中学生千八百名が、
志願の「鉄血勤皇隊」として徴用され、伝令、通信のみならず、多くが戦闘にも参加した。



海行かば


http://youtu.be/kUMq6MHVjuM





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