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2016年01月31日21:24

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丹羽宇一郎著 「中国の大問題」〜 民間出身の中国大使として各地を足で回って中国をどう分析したか 2012年の尖閣をめぐる確執で何が政府に起きたのか〜

 日刊ベリタ記事の転載です。
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201601311640020






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2016年01月31日16時40分掲載  印刷用

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丹羽宇一郎著 「中国の大問題」〜 民間出身の中国大使として各地を足で回って中国をどう分析したか 2012年の尖閣をめぐる確執で何が政府に起きたのか〜


  伊藤忠商事会長だった丹羽宇一郎氏は2010年に民間人として中国大使に就任した。アメリカやフランスでは珍しくないことだが、日本においては民間人が大使に就任することは非常に希な事態だった。財界人として中国とのパイプを持っていることから、民主党の菅直人政権によって任命された。だが2012年に起きた尖閣諸島をめぐる日中間の確執がもとで、更迭される。時の首相は野田佳彦氏だった。

  本書は丹羽氏が2014年に書き下ろした新書であり、本書の中には中国大使時代の経験が色濃く反映している。とくに注意深いのは言うまでもなく、尖閣諸島をめぐる2012年のトラブルの際の日本政府の行動だろう。本書で丹羽氏は時系列的に状況を回顧している。

2012年4月 石原慎太郎知事(当時)がワシントンDCで
        尖閣諸島の購入計画を発表

      これを機に中国各地で反日デモが発生。

7月7日   尖閣をめぐる日中間の話し合いが以後、継続

8月15日  香港から7人が尖閣に上陸。

9月9日   ウラジオストックで開催されたAPECの場で、
       野田首相と胡錦涛国家主席が立ち話。

9月10日  日本政府が尖閣3島の国有化を閣議決定

11月    中国共産党大会

12月    第二次安倍政権発足

  丹羽氏が強調しているのは9月9日の野田首相と胡錦涛国家主席との10数分の立ち話の翌日、日本政府が緊急で尖閣3島の国有化を発表したのが、あまりにもタイミングが悪かったということである。胡錦涛のメンツを失わせたばかりでなく、反日的な政策で知られる江沢民派と権力闘争を繰り広げていた胡錦涛の足を引っ張ることにもなったからだという。丹羽氏は日本の領有を譲るなどとは一言も言っておらず、ただ、国有化をするとしてもタイミングを考えるべきであった、というのである。中国人は体面を重んじるメンタリティがあるからだ。しかも、11月の共産党大会にそのことが反映して、日本にとってよくない事態になる可能性もあったからだという。

  このときのことについては野田首相の側近で外交・防衛担当だった長島昭久氏が『「活米」という流儀 〜外交・安全保障のリアリズム〜』で以下のように書いている。2011年3月に東日本大震災が起き、原発事故処理に民主党政府は翻弄された。そして、9月になると菅直人首相が退陣し、野田佳彦政権が生まれる。長島氏によると、このとき、民主党は政策を大きく転換した。

  「野田政権発足に際し、私たちは大方針を定めました。これは、久しぶりに本格的な「ドクトリン」と呼ぶべきもので、3つの柱からなっています。1つ目が環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)を中核とする経済連携、貿易と投資のルールづくり、2つ目が安全保障、とりわけ海洋のルールづくり、3つ目がエネルギーをはじめ戦略資源の安定供給のためのルールや仕組みづくりです。・・・・これによって、明確に、鳩山政権時代にめざしていた「東アジア共同体」構想、つまり中国を中心とする秩序に米国抜きで不用意に入っていくという考え方と決別したのです。」

  鳩山政権時代に構想していた中国との協調を通したアジアの地域圏構想が、野田政権になって180度転換した、ということである。鳩山氏は沖縄の普天間基地の県外移設を公約にしていたが、外務官僚のサボタージュなどもあって、県外移設は失敗に終わり、米国との関係も行き詰まって結局、首相を降りる事態となった。野田氏は鳩山首相が行ってきた路線を変更し、アジアからアメリカに軸を再び戻し、中国を包囲牽制する方向に大きくシフトしていった。

  野田首相を防衛の面で知恵袋として支えた長島昭久氏はもともと尖閣をめぐる確執を激化させるきっかけを作った石原慎太郎知事の息子と慶応の学友で、石原慎太郎氏とも近しい関係であることを「活米」の中で書いている。2012年4月に石原氏が尖閣を都が購入する計画を発表し、中国で反日デモが激発。同年、9月に石原氏に近い長島氏が側近をつとめていた野田首相が国有化を閣議決定した。中国との関係はこれ以後、悪化の一途をたどっていった。そして2012年12月に安倍政権が生まれ、長期安定政権となり、憲法解釈を変更し、集団的自衛権を適用し、さらに特定秘密保護法や安保法制を制定した。長島昭久氏によると、野田政権の外交防衛政策は安倍政権の外交防衛政策とほとんど同じだったという。

  丹羽氏は本書「中国の大問題」の中で、尖閣のことだけを書いているのではもちろんなく、中国が抱える問題点を経営者の目で指摘している。丹羽氏は中国大使時代に今の中国各地を精力的に足で回ったことが記されており、そこから見えてくる産業上の課題、とくに国営企業の非効率な経営や共産党のあり方などは興味深い。とくに様々な分野で生産設備の過剰が目立ってきているが、とくに粗鋼生産が生産設備過剰になっていることも興味深い点である。

  丹羽氏によると、韓国は日本から20年遅れて経済が発展したが、中国はその韓国から20年遅れたとみられ、つまり、今の中国はたとえて見れば日本の1970年〜80年頃に相当するのだという。

  「となると今後の中国は、1973年から90年の日本と同じように、これから内需中心の第二次の中位経済成長面に移行すると見ていい。そのとき、日本ではどんな問題が起きたか。公害、環境汚染、汚職・・・。日本も半世紀前は企業と癒着したり私腹を肥やしたりする政治家や会社役員がいた。いまから考えれば相当なモラルハザードだが、当時はさほどめずらしくはなかった。そう考えると現在、中国で起こっているさまざまな問題に理解がおよぶ。」

  近年、軍事力を増強して海洋で存在感を誇示している中国との関係は難しい。しかし、中国は国際経済の中に組み込まれて大きな存在感を示しており、もはやそれを国際社会も認めているから、中国バブルの崩壊を黙ってやり過ごすことはできなくなっていると記している。中国経済が苦境に陥ればそれは日本も含めた多くの国にとってもダメージになるだろう、という。こうした丹羽氏の単純化せず、問題点を冷静に具体的に探り、同時に相手に敬意を失わない姿勢は今後、必要になるのだと感じさせられた。


■長島昭久著『「活米」という流儀 〜外交・安全保障のリアリズム〜』 民主党・長島議員の外交・防衛政策と安倍政権の外交・防衛政策は極めて近い
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201508242151411





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