成田空港から、お客様のお見送り。初めてなので、ベテラン添乗員の仲間由紀恵が付き添ってくれる。
空港までの道のりが非常に複雑で、私一人では絶対たどり着けなかったと思う。
空港に着くと、仲間さんはどこかへ行ってしまった。彼女はあくまでも付き添いで、これは私の仕事なのだから彼女に頼ってばかりもいられない。
出国手続きが済んだお客様達を、私は国内側で見守っている。
お酒を扱う売店の前に彼が所在無さげに立っていた。あの人、あまり買い物に興味なさそうだしね、と思っていると、こちらを見た。
ガラス越しに胸の前でハートマークを両手で作り、にっこりと笑いながら何か言った。口の動きで、「大好きです」だと分かった。
ずっと気のない様子だったのに、と思いながらも、心臓の鼓動を抑えきれない。「私もです」とつい、言ってしまった。
名前を呼びたかったが、どうしても思い出せない。
誰でも知っている大手損保で資金運用をしていたあの人。何回かミーティングして、一度デートもしたのに、名前を忘れてしまった。
名刺のファイルをひっくり返せば出てくるだろう。ただ、今更思い出してもしょうがないので何もしない。
「まいちんさん」
下の名前で呼ぶんだ!
「何か忘れてませんか?」
ギョッとして軽くパニックになるが、何かを忘れたとは思えない。
「ブルカですよ。中近東方面にはブルカを持参しないと」と、近くにいたSAHIさんが助けてくれた。
「でも私、中近東に行くことは無いと思いますから」
「そんな事無いですよ。私達のチームは持ち回りで行先を担当するのだから」
秘書的な役割の私に、そんな仕事が回ってくるのだろうか?
搭乗時間になり、彼らは行ってしまった。
空港からは電車で戻るのだが、財布を持っていないことに気付いた。業務中に突然呼び出されてお見送りを命じられ、仲間さんが切符を買ってくれたから今まで財布無しということを忘れていたのだ。
改札口で事情を説明し、通訳案内士の登録証を見せて何とかなりませんかと聞いてみるが、冷たい感じの駅員はこういうのは認められていないんですよと取り付く島も無い。
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