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2015年09月17日20:26

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【旅】自転車日本縦断記(9):沖縄(2000年8月24日〜)

■2000年8月24日(木):(海上〜沖縄県那覇市)

 嫌な夢を見ていた。辛い状況から逃げて旅をしている今の状況を暗示しているような夢。(大学4年の夏に就職が決まっていない状況で自転車で旅をしている場合ではないからな)
 目を覚ますと、柔らかい肌の感触が手にあった。(って何でそんなモノが) 二等船室のすし詰め状態の傍で寝ている女性か子供の体でも夢うつつに触ってしまっていたのか。慌てて起きた。

 朝食。荷物からソーセージ2本、オレンジ1個を取り出し、フェリーの自販機でりんごジュース。そして酔い止め薬を飲む。長時間フェリーに乗っていて船酔い状態になった。(気持悪い)9:00まで甲板で太陽にあたる。食堂に移動してビールとアイスを食べ、新聞を読む。俺の内定先だった会社の不祥事についての記事が載っていた。(・・・・・・)

 うたた寝。13:00に起きる。船酔いが悪化、トイレで軽く吐いた。(24時間のフェリーの旅はキツイな)また甲板に出て陽と風に当たる。少しラクになった。自転車に乗っていると背中側ばかり日に焼けるので、ここで腹側を焼こうと新聞紙を敷いて寝る。暑くなったので起き上がった時に新聞紙が風に飛ばされ、海に落ちてしまった。(むぅ海を汚してしまったか)

 船室に戻りクーラーの寒さに震えながらコーヒー飲んでテレビを見る。内定先の事件のニュースをやっていた。(・・・・・・)つい怒りの表情を浮かべてコーヒー缶を握り潰してた為に、周りの人たちにドン引かれてた(コラ)。ニュースを見て格闘家のアンディ・フグが急性の白血病で亡くなった事を知った。

 フェリーが沖縄に着いた。車庫に置かれた自転車のところへ行き、自動車の乗降口から沖縄に降り立つ。(人生初の沖縄だ)

 〜沖縄上陸〜
 〜2000.8.24〜

 那覇港から国道58号を通り、宿の予約をしている沖縄国際ユースホステルに向かう。道に迷いつつ無事到着。荷物を置いた後、ユースで紹介してもらった豆腐料理の店に行った。「豆腐とカツオのニラ炒め」「豆腐よう」「もめんやっこ」「泡盛(5年もの)」を食す。(\1,900-)

 ユースに戻った後、同室の人と雑談。海外旅行にかなりの回数行っている話を聴く。(ユースホステルに泊まる人は話の種を多く持っている)。話を聴き終えた後、洗濯に行く。ここのところ洗濯が出来ない状況だったので洗濯物がアンモニア臭を放つほどになっている。洗濯物を洗濯機にかけてから寝る。

走行距離 13km
累積走行距離 2621.45km


■■

■2000年8月25日(金):(沖縄県那覇市)

 7:00。昨夜遅くまで起きていた為に朝の目覚めが最悪。朝食(バイキング形式)を摂りに食堂に向かう。昨夜ロビーで見た『DIVING 10,000円』のPOPが気になりフロントに聞いてみる。ダイビングの免許を持ってなくても、潜る事ができるという。(やってみるか)ダメ元で今日のダイブに参加できるか聞いてみた。結果はOK。他の客2名がいたから1名くらい増えても大丈夫だったようだ。決まってから5分後にダイビングショップの車が迎えに来ていた。(申し込みギリギリ間に合ったのか)

 アメリカンな雰囲気漂う北谷(ちゃたん)のビーチまで車で移動。ウエットスーツの着方、機材の扱い方を教わりながら装備。ダイビングショップのオーナーとアシスタントの女性の2人が講師になってダイブ。耳抜きに苦労したがどうにか潜れた。潜った先にあったのは地上とは全く異なる異世界。色とりどりの魚たち、珊瑚礁の景観、海を通して海底に優しく注ぐ太陽光。(これは素晴らしい)あっという間に2ダイブが終わる。地上に上がったと途端に、これまで忘れていた重力が疲労した体に襲い掛かってきた。(体力を使うレジャーだ)

フォト

 北谷のビーチにて。肌が一番白いのが俺。

 那覇に戻る途中にあったアメリカ風の建物に寄る。中は惣菜店だった。売っているものは店の外見と異なりミミガー(豚の耳)やテビチ(豚足)など沖縄料理だった。皆で思い思いの惣菜を買う。ダイビングショップに寄り、そこで皆で買ったものを分けながら食事。(こういう食事もいいな)

 ユースホステルに帰る。このユースは今日満員なので泊る事ができない。今日の宿をどうするかフロントに相談。近くの別のユースホステルを紹介されたのでそこに泊まることにする。今日ダイビングを一緒にやった人と雑談。すでに社会人の彼から「社会人になったら人と共有できる趣味を持った方がいい」と聞く。(となるとダイビングを趣味にするのも悪くないな)朝と同様の飛び込みでフロントにダイビングスクールの申し込みをする。さっき送迎してもらった車でまた先ほどのダイビングショップへ。そこには他の客が2人いた。16:30からダイビングの学科を受ける。筆記のテストを受けるが、今さっき習った内容なのであっさり合格点。(つか落ちる奴いないだろうコレ)

 終了後、今日ダイビングやった面子(客、オーナー)で呑む事になった。オーナーに今日泊まる春海ユースまで送ってもらい、荷物を置いてそのまま居酒屋『苗』へ移動。今日一緒に潜った男性、オーナー、女性2人、俺の計5人で飲んだ。どうもこういう場は苦手なのだが、場の雰囲気を壊さないようにしつつ過ごす。泡盛など度数の高い酒がすすみ話がはずむ。

 ダイビングショップのオーナーは「自分の好きなことを仕事にして」「自分の力で店を持った」という一般の男があこがれる様な生き方をしているが、彼が言うには「安定した生活」に憧れているそうだ。どっちがいいのか分からないが、夢が無いと言われがちな「レールの上を進むような人生」がかっこ悪いという事はないかもな。

 1人途中参加して6人で呑み進める。話が盛り上がりユースホステルに帰ったのは夜11時過ぎ。この春海ユースでは8人部屋に泊まったが、皆でそれぞれの旅の話をして深夜遅くまですごしていた。ヒッチハイクで旅した人、人の家に泊めてもらいながら旅してきた人など。俺の自転車旅の話をした後「自転車の旅をしたい」という人から旅について質問されたので、自転車の選び方やら道具の揃え方を話した。(そんな難しい事じゃないが)

 1:30に寝る。

走行距離 0km
累積走行距離 2621.45km


■■

■2000年8月26日(土):(沖縄県那覇市)

 昨晩遅くまで話をした為か、朝8:00まで寝てしまった。(って、ダイビングスクールからの迎えが8:00じゃないかっ!)大慌てで外に出て迎えの車に乗る。ダイビングショップのオーナーに詫びる。
ダイビングショップに向かう途中でローソンに寄ってもらい朝食(鳥そぼろおにぎり、マーサージュース\231)を摂る。

 ダイビングショップで受講料を支払う(\52,447:ユース宿泊料込み)。学科を受ける。で、昨日の小テストではいい点をとっていたのだが今日の本番では39点。記憶力と判断力が鈍っているのか。

 午後からはプールでの講習。プールに向かう途中、道端でワゴン車で販売している昼食の弁当を購入。弁当屋間の競争が激しいらしく価格が安かった。タコライス(タコスライスの事。蛸ライスではない)にバナナ1本と味噌汁がついて300円だった。味はかなりイケる。沖縄は物価が安いのか。

 プールでの講習。まずは機材の扱い方。ボンベやレギュレーターの扱い方を学ぶ。機材の扱い方が済んでから、それらを装備してプールの中でダイブの練習。水が真水のために浮力が小さく、体が重く感じた。どうも俺はフィンキックが苦手で、キックと言うより自転車漕ぎのような足の動きになってしまう。(学科の点低かったし、こんなのでライセンス取れるのかな)

 休憩中に携帯に着信があったことに気付いた。着信内容を見ると、内定辞退した企業N社からだ。N社からは北海道を走っている頃に「再内定を検討する」と連絡をもらっていた。この日は土曜だが、電話を折り返しかけてみた。N社の人事担当者と話す。再内定の話を社内で進めているとの事。ありがたい。こちらの近況として沖縄にいることを伝えたら驚いていた。(以前に電話を受けた時は北海道を走っていたしな)

 一緒に講習を受けている2人のうち、1人が苦戦していた。2人は郵便局に勤める公務員だと言う。公務員は沖縄旅行が出来るくらいに長期休暇が取れるのだろうか。

 講習を終えてユースに戻ると16:00。観光するには時間が中途半端だし余力もなかったので、ダイビングスクールを一緒に受けている2人と豆腐料理店で食事をした(\1,050)。帰り際に県立運動場の近くでエイサーをやっていたので、それを見つつ過ごす。

 県立運動場にトレーニングジムがあったので、一緒にいた2人に一言断わってからジムに向かう(\160)。2人は見学すると言ってついてきたが、やがて飽きたのか帰って行った。(人のトレーニングなんて見てても面白くないしな。つか俺ってマイぺースなのかね)マシンだけでなくバーベルやダンベルがあったので、ベンチプレスやレッグスクワットなどウエイトトレーニングを1時間ほどこなしてユースに帰った。

 ユースの部屋で22歳の社会人(教師1年目)や日本に住んでいて日本語ペラペラのイタリア人と雑談。ユースはいろんなタイプの人がいる。その後、一緒にダイビング受けている人の部屋にも行って雑談。

 部屋に帰ってからまた少し雑談した後、寝た。


走行距離 0km
累積走行距離 2621.45km


■■

■2000年8月27日(日):(沖縄県那覇市)

 起きると7:30だった。教員やっている同室の人と朝食に行きバイキング形式の食事を摂る。ダイビングの迎えまで時間がなかったので慌しく食べる。他の2人と体験ダイビングの女子大生4人が遅く来ていたので、俺が急いだ意味がなかった。

 台風のために使えるビーチが限られており、入り江になっている「ジョン万ビーチ」へ移動。海底の状態と天候のために海の透明度が低く、あまり景色は良くはなかった。つか海中の流れが激しくて変な方向に流されそうになった。俺を含めライセンスの講習を受けている男3人が海中で垂直浮上・降下など練習している間、女性陣は体験ダイブしていた。(あまり海がきれいじゃないこの状況じゃ珊瑚も魚もクッキリ見れずに気の毒だな)

フォト

  悪天候のジョン万ビーチにて

 悪天候にも関わらずビーチにはキャンプ客もいた。午前中にダイブを終えて車で昼食を摂りに移動。インストラクターのお勧めの店は全部休みだったので、那覇港の「とまりん」2Fの観光客向けの店で昼食。(アメリカンビーフステーキ、ライス、サラダ、タコソース、スープ、紅イモのソフトクリーム:\1,207)土産物屋で便せんや小物を購入。(\1,304)

 ユースホステルに戻った後、ダイビングライセンス用の証明写真を撮りに行く。この旅で痩せた事と、日に焼けた事で精悍な顔つきになっているかと思っていたが、できた写真を見ると「何か汚い顔になってるだけ」だった。

 自転車で首里城まで行く。着くまでに至る所で工事をやっていた。どうやらモノレールを造るらしい。完成は何年後か知らないが、ただでさえ車線が少ない道がこの工事で狭まって更に渋滞の原因になっている。

 坂の上にある首里城に到着。正面の門・守礼門の前で伝統的衣装を着ている女性がいて、一緒に写真を撮る商売がやっていた。料金は2,000円。(・・・高い) 1人で写真を撮った。首里城を見学。(\800)

フォト

  首里城・守礼門にて

 帰る途中で泡盛専門店に寄る。何杯か試飲。写真を渡すと泡盛の瓶のラベルにしてくれるサービスをやっているとの事。(写真を現像したらここに持って来よう)

 夜、ユースホステルで同室の教員、イタリア人、ダイビングスクールで一緒の2人と俺の5名で居酒屋に行った。旅の話やら学校教育やら雑談など。で、つい飲みすぎてしまい帰り際になってトイレに行き嘔吐。酒に弱いのに調子にのって泡盛何杯も飲んだのが原因か。

 どうにかユースホステルに辿りつき、入浴してから寝た。


走行距離 10km
累積走行距離 2631.45km


■■

■2000年8月28日(月):(沖縄県那覇市)

 朝7時起床。同室の人はまだ寝てたので1人で食事に行った。講習を一緒に受けている2人と合流してから迎えの車に乗って出発。

 今日は台風のためにダイブできるビーチが「砂辺」のみで、他のダイバーや講習もここで行われているためにひどく混んでいた。

 1本目のダイブで左の耳抜きが上手くいかず苦労したがオーナーから「息を飲み込む」様にアドバイスをもらってからは痛みが治まり、何とかこなせるようになった。

 2本目のダイブは少し練習した後に遊泳の予定だったが、一緒に講習を受けている2人のうち1人がうまく潜水できず遅かった為、それを待っている内に時間が過ぎてしまった。(まぁ遊泳できても台風で海流が強いから楽しめるか疑問だしな)

 ダイブ終了後、有料のシャワー(\200)を浴びてからピザのバイキング店で昼食(\866)。食べ放題だとつい食べ過ぎてしまう。カットされたピザを9枚ほど食べた。

 その後、ダイビングショップのオーナーの家でライセンスの書類を書く。さっきのダイブで手間取っていた人は今日ライセンスが発行されず、俺ともう1人はライセンスを受け取る。(ライセンス料\6,300)これでオープンウォーターダイバーになった。しかし俺も「マスクの位置が高くなる」「フィンキックがうまくできてない」と問題点があるからこの点に注意しないと。(今後どれだけダイビングできるか分からんが)

 渋滞のために時間がかかり16:30にユースに戻る。郵貯で金を下ろした後、県立体育館に行ってトレーニングをした。ベンチプレスやレッグスクワットを中心に10種目を3セットずつ行う。長い間自転車に乗っていたからパワー付いているかと思ったが、上半身の筋瞬発力は落ちていた。

 ユースに戻り講習仲間と那覇そばの店へ行く。途中で同室の教員と合流して4人でソーキそばを食べた。骨まで柔らかく煮てあり美味いが、脂が多くてややしつこかった。

 教師の人とコンビニに寄って雑談しながらユースへ。ユースの風呂上りにテラスに涼みに行く。ここでも教師の人と茶を飲みながら雑談。旅先だと口よく回るのだろうか、俺は。

 夜が更けてきたので寝る。


走行距離 0km
累積走行距離 2631.45km


■■

■2000年8月29日(火):(沖縄県那覇市)

 6:10起床。朝風呂に入る。上がってから同室の教師の人とロビーに行き、朝食を食べた。その後は迎えに来た車に乗りダイビングへ(ビーチダイブ\12,600+ユース宿泊\3,307)。昨日にライセンスを取れたので申し込んだダイビング。本来なら慶良間までボートダイブに行く予定だったが、台風のためにビーチダイブになってしまった。今日は俺とライセンス講習受けた2人の他にドイツ人のカップル、体験ダイブの女性2人、アドバンスドの講習を受けにきた男性2名の計9名。人数が多いのでインストラクターも今日は3人いた。

 ダイブ前に機材を準備していたら携帯に着信。再内定の話が上がっているN社からだ。出る。曰く「内定を再度出すか判断する前に東京の本社まで面接に来るように」との事。日時は明後日31日13時。(これで就職浪人の可能性が減ったわけだ。しかし明後日に東京で面接という事は、明日には沖縄から地元に戻らないといかんのか。東京までの飛行機の手配:\34,500-)

 それはさておきダイブを楽しむ。色とりどりの魚、様々な形の珊瑚。台風のために海流が強いが素晴らしい景色を楽しめた。ボートで沖に出れなかったのは残念だったが、ビーチダイブでも楽しめる。ただ強い海流に逆らった為か、ボンベのエアー消費量が激しくて後半ではバディのインストラクターにエアーを分けてもらっていた。(泳ぎが下手な証拠)

 2ダイブ潜った後、昼食はカレーバイキングの店へ(\714)。4皿ほど平らげた。(バイキングだと食べ過ぎてしまう)車で那覇へ戻る途中、ブルーシールのアイスショップでマンゴ&ブベのアイスを食べた(\333)。(こう毎日食べてばかりだと肥えそうだ。)ユースホステルに戻り、ダイブのログ付けをする。今日潜った場所や状況、潜った時に見た魚などを記録につけていく。今日一緒に潜ったドイツ人達はすでに26ダイブも潜っているそうだ。俺は次に潜る機会はいつになるだろうか。

 部屋に戻り、明日に沖縄を後にするため荷物をまとめる。作業をしながら同室の中年男性と雑談。西ドイツに柔道の講師として渡り30年近く在住しているとか。今日飲もうかと話をしていた同室の教師の人から着信。今日は彼が通っていたダイビングスクールの打ち上げがあるから、飲みにいけないとの事。(了解)

 土産モノを買いに県庁前にある百貨店「パレットくもじ」に行く。大雨と風にあおられ全身水浸しになった。こうなると買い物する意欲も失せる。適当に買い物すませて(\1,026)ユースに戻った。

 ダイビングスクールで一緒だった公務員2人と飲みに行こうとしたら、彼らが女性2人を誘っていた。一昨日にダイブで一緒になった女子大生4人のうち2人との事。(いや別にいいのだが、俺としては社会人の仕事の話とか聞きたかったのだが、それがやり難くなるな) 居酒屋『苗』に行く。女性がいる場に苦手意識がある俺は、差しさわりのない話をしたり相槌を打って過ごしていた。俺の旅行の話になったが、野宿などの泥臭い話をすると引かれるので軽くすませる。体重が8kg減った事を言ったら、彼女たちは「私も旅やろうかなー」との事。(本当にやったら直射日光で肌がボロボロになるわ髪はバサバサになるわで、美容にとって最悪の状態になりますよ)

 飲みが終わり。公務員2名と女性たちは別々に帰ったので、どうやら彼らの『女の子と仲良くなりたいとか言う目的』は失敗に終わった模様。何故か俺も女子大生2名と電話番号の交換をしたのだが、これは一生かける事はないだろう。

 ユースホステルに帰った後、風呂に入ってから午前0時過ぎに寝た。


走行距離 0km
累積走行距離 2631.45km


■■

■2000年8月30日(水):(沖縄県那覇市〜千葉県)

 明日31日に東京でN社の面接を受けるため今日で沖縄を後にする。気が高ぶっていたのか、目覚ましが鳴る前の5:00に起床。朝風呂に入る。ヒゲを剃っている時、左ほほを切ってしまった。

 6:00に沖縄国際ユースホステルをチェックアウトした。思えばこのユースに5泊したのか。自転車に荷物を載せて空港へ。空港に着きタクシー乗り場の近くで、タクシー運ちゃんの奇異の視線を身に浴びつつ自転車を分解。荷物を下ろした後、キャリアを外す。自転車をひっくり返して前輪と後輪を取り外す。フレームと取り外した部品を輪行袋に突っ込む。・・・とコレだけの作業に1時間もかけてしまった。早めにユースホステルを出て正解だった。

 自転車と荷物を預けた後、土産(\546)とオリオンビール(\1,407)を買う。ベーグルを買い朝食を済ませた(\488)。

 搭乗手続きの際、ブザーが鳴ってしまい取り調べ(違う)を受ける。で、女性の係員が俺の体をまさっぐてきたのだが、これはそういうサービスなのか(コラ)。ベルトのバックル以外に問題は無く無事通過。

 フライト中は台風の為に雲が多くて上空からの景色が見れなかったのが残念だった。これまで走ってきた道を上空から見たかったのに。

 1時間半のフライトを終えて羽田空港に到着。自転車と荷物を受け取った後、モノレール、電車と乗り継ぐ。2時間ほどで実家のある地元の駅に着いた。(旅してきた道も交通機関使うとあっという間だな)

 駅の改札を出て、迎えに来ていた弟と会う。弟から「痩せて色が黒くなった」と言われた。弟に土産を渡し、駅前の邪魔にならない場所で自転車を組み立て始める。・・・と道行く人たちがコチラをジロジロと見てくる。

 弟曰く「何だよ、ジロジロと見てきやがって」 確かにあまり気分のいいものではないが、別に悪意をもって見ているのではない。これまで旅をしてきて色んな人と話してきてそう思えるようになった。「物珍しいから見てるだけだ。それに中には興味持っている人もいるんだぞ」と弟に伝える。弟は半信半疑の様子だった。

 と、そこに30歳くらいの男性が来て俺に声をかけて来た。「これから旅に出るのですか?」「いえ今帰ってきたところです」と定型会話。
自転車の旅行に興味があるのだけど特別な自転車が必要かと質問されたので、とくに特別な自転車は必要ないこと、ただし自転車で交通機関を利用するとき輪行作業するのでタイヤを簡単に外せる型の自転車がいいこと(普通のスポーツサイクルならそういう仕組みになっている)を伝える。

 会話が終わり男性が去った後、弟に対して言った。「な。興味持っている人もいるだろ」

 自転車を組み終えた後、荷物を載せて走る。一ヶ月ぶりの実家に帰り着いた。


走行距離 15km
累積走行距離 2646.45km


■■

2000年8月31日。N社に行き人事部長と面談。この夏の自転車旅行について、色々と質問された。そして、その数日後に再内定の連絡を受けた。

こうして俺の旅は終わった。

フォト

累積走行距離 2646.45km

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