こんな風景はいかがだろう。
おやっ? 桜だ。
背後には柿が熟れている。
もっと近寄ってみた。
やっぱり桜である。
ここはかつての愛知県西加茂郡小原村。三河国の西北部に当たる。
古くから「こうぞ」・「みつまた」の産地で、それらを漉いてこしらえた和紙を使い、
素晴らしい絵画や造形を生み出す小原和紙工芸で知られており、
閑雅な風情をただよわせる盆地が点在する山あいの里である。
現在は、合併して全域が豊田市小原町となった。
自宅からバイクで40分ほど。
妻のバイクが本日の午後、車検でディ―ラーに入庫する。
それで10日間ほど運転できなくなるから、夫婦でご近所ツーリングに出たのだったが、
なんとなく三河と東濃の山奥へ行きたくなり、その途中で小原を通ったのであった。
しばらく忘れていたのだけれど、ここは四季桜が美しい土地だった。
なにしろ、小原の中心を南北に貫く国道419号を通るのは、
かれこれ20年ぶりだったからだ。
妻も情報では知っていたらしいけれど、
実際に近寄って見るのは初めてだと言った。
背後に四季桜を容れて、しばらく乗れなくなるバイクを撮影した。
国道沿いにも、あちらこちらに四季桜は乱れ咲いており、
小原の中心地へ北上していけばいくほど、
道の両側には、淡白い花をまとった木がどんどん増えていくのだった。
バイクで走りながら、まるで自分たちが花咲か爺さんになっていくような塩梅だ。
それはそれは壮観だった。
それにしても、ものすごい人数の観光客だ。
村落の中心部の高台には、かつての村役場の広場があって、
臨時駐車場になっていたけれど、そこへ向かって数珠つなぎの大型観光バスの車列…
南海交通、三重交通、阪急交通、アルピコ、平和観光…平和観光ってどこだ?
渋滞をすり抜けながらバス会社を見たところ、ずいぶん遠くからも来ているようだ。
平日でこれだけの賑わいならば、休日はいったいどんなことになるのだろうか。
そんなに凄いのなら、ちょっと寄ってみようか…となった。
バイクは狭いところにでも停められるし、みなさんが集まる駐車場じゃなくてもいい。
ちょちょちょっと隙間から、お寺の下の駐車場に停めさせてもらって歩く。
う〜ん、ワンダフルだ!
真っ赤な紅葉も埋もれてしまうほどの四季桜が波打っている。
いったい、今、季節はいつなんだ?と錯覚してしまう。
本当に和紙絵のような柔らかくも繊細な風景が目の前に広がっているのだ。
いや、この風景を和紙で表現したかったから、和紙工芸が生まれたんじゃないのか…。
現在、小原地区の四季桜の株は10,000本を超えているらしい。
もとはと言えば、江戸時代の文化・文政期に、
小原で医者を開業していた人が、尾張国から通ってきた患者に聞いた、
「冬と春に花を咲かせる桜」が地元の寺にあるという話に心を動かされ、
尾張まで出向いてその桜の苗を寺の住職から分けてもらい、
自宅の周囲に植えたのが始まりだという。、
それらは大きく育ち、いつしか村人の間に分植が広まっていき、
四季桜と呼ばれるようになったらしい。
小原へ来てみればわかることだが、
ほとんどのお宅の庭にも立派な四季桜が植わっており、
なかには巨木も見受けられ、それはそれは見事である。
この地域の素晴らしいところは、観光云々ではなくて、
日常生活のなかに美しい風景をつくろうと努めてきたことだ。
何もない里だけれども、せめて桜の花で飾ってみようじゃないかという、
金儲けと無縁な、ただ自分たちの美と穏やかさのためにだけ時間と労力をかけた。
こういう風土だから、小原和紙工芸という芸術への関心も自然に発露したようで、
村落のたたずまいを壊さないように、むかしから共同で村づくりを工夫する生き方も相俟って、
今見るような、虚飾を排した知的でアーティスティックな景観を生み出したのに違いない。
そうすることが当たり前のような美的な暮らしが、
時代が進むうちに大きく注目されるようになり、
各地から四季桜を見にやってくるお客さんを楽しませるようになったというのだけれど、
押し寄せる観光客にも一向に慣れるふうもなく、質朴な対応でてんてこまいの村の人たち。
周囲にも過剰な出店は一切なく、ただ、四季桜があるだけ。
でも、これでいいのだろうと思った。
土地の人は、たぶん、自分の里を観光地だなんてこれっぽっちも思っていない。
そもそも、里の風景は観光客のためにあるのではない。
あくまでも自分たちの日常生活を豊かにするためにだけある美しさ。
誰かがそれを見に来たら、何誇るでもなく、
「よ〜そんな遠くからおいでたねん」とねぎらってくれるばかり。
こういう、飾り気のなさを変えられない頑固さが三河人の気質でもある。
去りがたく思いながら、門前からバイクを引き出して出発。
途中、矢作川の谷へ降りるために、ショートカットの細い山道を選んだら、
妻から豪快に走れないじゃないのと怒られてしまったけれど、
山蔭を縫うように走る杣道の両側にも四季桜がつましいように咲いていて、ジーンときた。
矢作川に出たら、そこからは川沿いに左岸を北上する快走路だ。
満艦彩の山肌が次々に迫ってきて目の曇りが晴れるようだった。
小渡という町で休憩。コーヒータイム。近所にうろついていた猫と遊ぶ。
飼い主のお婆さんと長々と話し込む。ふるさとの歴史に詳しい人だった。
半径50メートル以内の情報をこと細かく教えてくれ、土地の産土に出会ったような気がした。
このお婆さんの表情もたたずまいも目の奥に焼き付けた。
いつかこの人も、わたしの眼中の人のひとりになりそうだった。
お婆さんにおいとまして、バイクを出した。
ここからはいよいよ矢作川の最上流部へ向かう。
途中の崖上の道からは、こんな景観が見えた。
矢作ダムのダム湖の上流部だ。
植林がない山肌は、広葉樹の紅葉にけぶっていた。
なんとはなしに惹かれる風景だった。
さらに登れば、巨大なアーチダムの上矢作ダムに行き着く。
ここでまた一服。
秋の冷気を吸い込む。
さらにこのダム湖沿いを上流部に走る。
ダム湖沿いにはもみじがたくさん植えられて、
紅葉のアーチのなかをくねり走るのが心地よかった。
紅葉といえば、この矢作川の中流左岸の豊田市足助町に、
香嵐渓という紅葉の名所がある。
いまや全国区の知名度になってしまったから、平日・休日問わず、
この時期には香嵐渓周辺の道路は大渋滞する。
それもあって、本日は、足助町へ通じる道は回避したのだった。
足助は、名古屋と信州の飯田を結ぶ飯田街道(飯田側からは三州街道)の中間にあって、
中馬という馬継の宿場町として栄えてきた。足助は「あすけ」と読む。
これは香嵐渓に覆いかぶさるように繁ったもみじ林をとらえたものだ。
古くから地元では知られた紅葉の名所だったが、
かくも宣伝がすすみ、バイパス道路までこしらえて、交通の流れを変えなくては、
足助の中心街に入れない状況になるとは、思ってもみなかった。
足助町は、車社会を普及させた張本人のトヨタ自動車の本社がある豊田市と合併したので、
足助町へ入る観光バスと信州へ抜ける車とを分けるバイパスも、
国道の整備事業とは言え、トヨタあっての事業だった。
香嵐渓は、夕方から始まる全山のライトアップが見どころのひとつなので、
お客さんの滞留時間が長いのも特色だ。
周辺の土産物屋や食事処は、このときとばかりに声を張り上げる。
1年の売り上げをこの時期に作ってしまわなければならないから大変だ。
この景観を楽しみにやってくるお客さんで、
11月〜12月初旬までは、京都の高雄や嵐山と人気を分ける。
夜も午後9時まではライトアップを楽しめるので、
冷気しんしんと迫るなかで、恋人同士が身を寄せ合う時間も十分に用意されている。
地元の人たちは渋滞やら人の多さに暮らしを妨げられて閉口することも多いけれど、
これもまた時代の趨勢というのか、憤慨しても始まらない。
みなさんと季節の美しさを分け合って、なんごに暮らせばいい、と思っているふうだ。
「なんごに」というのは、三河弁のひとつで、年寄りは「なんごにやりなん」とよく言う。
結論を急がず円かにおおどかに…という感じだ。
そんな、こんなで、夕方の4時にはバイク・ディ―ラーへ着き、
予定通り、バイクを預けて、妻を自分のバイクの後ろに乗せて、
帰り着いたのであった。
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