http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16166 (写真入り記事)
人は、『I am OK!』を感じたいと願っている存在ではないでしょうか?
それが何であれ、そのことを通して自己の存在を肯定し、高めたいと願っているのです。
人が成功を目指すのは、それが理由です。
良い人は、良い行いをすることで『I am OK!』感じようと目指していますが、悪い人も、悪い行いをすることで、人々の注目を集めて『I am OK!』を感じようと目指しています。
『I am OK!』を感じたい理由は、『I am not OK!(私はダメな存在!)』だと思っているからです。
『I am not OK!』と思う理由は、罪という病が原因です。
私は、子供のころから喘息持ちでした。喘息の症状は、気道が狭くなり、呼吸がしずらくなります。いわゆる、喘息発作とは、呼吸困難に陥った状態です。
同じように、罪の症状・病状は、『I am not OK!』という思いです。これはつらいものです。
ある人は、人から愛されることで『I am not OK!』を治療しようとしています。
ある人は、人からの注目を集めて『I am not OK!』を治療しようとしています。
ある人は、お金持ちになることで『I am not OK!』を治療しようとしています。
ある人は、成功することで『I am not OK!』治療しようとしています。
とにかく、『I am OK!』を感じたいと、心が切実に求めています。
『I am OK!』を感じたい理由は、『I am OK!』をどこかで知っているからです。
人は、神によって素晴らしい存在として造られました。
『神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。』(創世記1:27)
『神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。』(創世記1:31)
かつて人間は、自己肯定意識に満ちていました。神によって素晴らしい存在として造られたからです。
しかし、アダムとエバは、悪魔に誘惑されて、命の源である神を捨てて、悪魔に従いました。
この結果、人は、致命的な罪という病におかされてしまいました。
その瞬間から、人は『I am not OK!』と感じるようになり、神を恐れ、神のみ顔を避けて隠れました。また、自分の裸の姿を恥じて、いちじくの葉で体を覆って隠しました。
『このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である【主】の声を聞いた。それで人とその妻は、神である【主】の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。神である【主】は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」すると、仰せになった。「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか。」』(創世記3:7〜11)
『I am not OK!』と自分を意識するようになり、神を恐れ、自分を隠しました。『自分はダメな存在だ』と感じるようになったからです。
今日私たちも、『I am not OK!』意識に苛まれ、苦しんでいるのではないでしょうか?
そして、「何とか『I am OK!』と感じたい!」ともがき苦しんでいます。
一体どうしたら、『I am OK!』と感じることができるのでしょうか?
たった一つだけ、その答えがあります。しかし多くの人は、そのたった一つの答えではなく、その代用品で埋め合わせて、『I am OK!』を得ようとしています。
そのたった一つの答えは、「神が、ありのままの私を愛してくださっている」という事実です。
これが、聖書が求めるべきだと語る神の義です。
『だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。』(マタイ6:33)
しかし人は、『求めなさい!』と言われた神の義ではなく、『それに加えて、これらのものはすべて与えられます。』と言われたものの方を求めています。
的外れな生き方です。
新約聖書の『罪』という言葉は、『ハマルティア』という『的外れ』という意味の言葉です。
みなさんは、今日的を外していないでしょうか?
神はあなたを愛しておられます。その愛を得るために、努力する必要はありません。
神があなたを造られたのですから、そのままのあなたを愛しておられるのです。
今日、その愛を信じ、その愛を受け入れ、その愛に憩って下さい。
その瞬間から、『I am OK!』、つまり、『私は、神に愛されているので、私のままで大丈夫!』と、平安と喜びを得ることができます。
これこそが、神が与えたい祝福であり、福音です。
これに、目に見える祝福や、世の中の競争原理を混ぜた「繁栄の神学」というものがあります。
繁栄や富や成功などは、神が教えた祝福ではなく、イエス様が、『それに加えて、これらのものはすべて与えられます。』と言われたおまけです。
これは、あってもなくても良いのです。あるに越したことはありませんが、これがあるから『I am OK!』を感じて、幸せになれるのではありません。
『I am OK!』を感じて幸せになるのはただ一つ、イエス様の愛です。
その愛は、2015年前に神が人間の姿をとってこの地上に来られ、33歳の時に十字架にかかって、復活されることで、その愛を余すところなく示されました。
今日、あなたは成功しているかどうか、富を得ているかどうか、人から認められているかどうか全く関係なく、神に愛されています。
その愛を信じ、受け入れ、憩う時にあなたは『I am OK!』を得、幸せな人になることができます。
あなたは、最初から素晴らしい人として造られたのです。そう思えなくなったのは罪が原因です。
しかし神は、その罪をいやし、取り除いて下さいます。
神の愛があなたを生かします。
愛されています。
必要なのは、その事実に気づくだけです。
『義人はいない。ひとりもいない。』(ローマ3:10)
『律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる」のだからです。』(ガラテヤ3:11)
今日は、久しぶりに多忙な一日でした。走って走って走りました。夜は半徹夜の祈祷会がありました。
いよいよ大会が近づいてきました。5日間、バスの運転手の奉仕をします。
同じように、この世の終末、そして、日本人が救われるリバイバルの時が近づいています。伝道の奉仕を致しましょう。
今日、まだ、神の愛を信じたことがない人も、「神があなたを愛しておられること」を受け入れて下さい。
フランスで起こった同時多発テロ。これは、日本にも静かに迫っています。湯川さん、後藤さんをISが殺害したというのは、日本もターゲットの一つとしているというメッセージです。
神を信じ、神に祈り、神を求め、立ち上がる時が来ています。
『I am not OK!』は過ぎ去り、『I am OK!』の思いを持って前進してまいりましょう。
一日お疲れ様でした。
また明日もお会いしましょう。
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