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2015年11月08日10:23

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そんな浅いことをいっているからお笑いは政治にもバカにされるのだ。

■お笑いは「いじめ」を誘発しているのか? カンニング竹山と品川祐はこう考える
(キャリコネ - 11月07日 22:00)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=3701857
笑いのなかに、イジメも暴力も差別もある。もちろんそれだけではない。価値観の転倒、権力への批判、体制への皮肉こそが、その真骨頂だろう。

しかしかつての笑いのなかにそういった部分があったのは事実だろう。それは認めなくてはならない、これは日本ばかりではなく、外国も同じ、たとえばアメリカなら、白人のコメディアンは平気でアジア人やアフリカ人をバカにし、ユダヤ人は黒人を、黒人はユダヤ人をバカにする。それはテレビの中にもあったのだ、もちろんいまはそういう笑いは認められない。

日本でもそうだろう。夫婦(めおと)漫才といいながら、大柄な夫が小柄な妻に平気で飛び蹴りをする、それを大笑いする観客。ビートたけしによるたけし軍団のイジリという名のイジメ、あるいはあの猿岩石の世界ヒッチハイクだって、無名のお笑いへのイジメだろう。

もちろんそれはこの芸人たちがいうように、愛があるかどうかはわからないが、そこにギャラが発生する。それが商売なのだ、芸人は虐められてナンボなのだ。

しかし、もちろん子供たちはそうではない。そこに愛も、ギャラも発生しないのだ。

一時浜ちゃんのマネをして、彼女の後頭部に平気でパンッ!とツッコミを入れる彼氏を街角で、あるいは映画館のロビーで目撃した。彼氏はへらへらしていたが、彼女は明らかに不快そうだった。

昔、ドリフのコントがPTAから批判されたのは、下品だからとか食べ物をそまつにするからであって、暴力やイジメではなかった。そもそもドリフのコントは、長介(親や教師、つまりは大人の象徴)への、カトちゃんと志村をリーダーとするメンバー(これはもちろん大人たちに支配される子供たち)の反抗という構造があったのだ。

だからいまのお笑いの当事者にもそういう視点が必要であって、無知では困る。もちろんかれらよりも、こういうツッコミや暴力を笑う視聴者、親たちに、子供たちのイジメの原因はあるのだろう。それに笑い転げる、あるいは家庭内でテレビのように、後頭部にパンッ!やれば、それはやってもいいのだ、と思っても無理はない。

うちではそういう番組を消しはしなかったが、いつも批判的に見ていた。息子にはちゃんと解説をした。

いまのネットはテレビよりも酷い世界だ。その過剰な情報化時代を生きのびていくには、テレビのお笑いを見ながらそういうメディアリテラシーを子供たちに教えることも大事なレッスンなのだ。
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