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2015年08月08日00:08

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「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【123】 2015/8/7(金) 一身二生」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/15935 (写真入り記事)

猛暑が8日間も続くと、体が慣れてきますね。健康な人には適応力が備わっているのですね。しかし、体が弱っている人には堪えるだろうと思います。

慣れましたが、ハワイのような南国のさわやかな暑さではなく、蒸し風呂(サウナ)の中にいるような、苦しい暑さですね。そして、建物の中に入ると、クーラーが効いているので、天国に来たように感じますね。

ただ、わざわざお金を出してサウナに行く人にとっては、神様が下さった無料サウナに感謝しましょう。

最近、小中学生レベルの「宇宙の不思議」という本を、気分転換のために読んでいます。子供の頃から宇宙に興味がありました。

特に、少し遠い、「天王星」「海王星」「冥王星」に興味がありました。ロケットで行って帰ってくるだけで、一生の大半を宇宙で過ごすことになりますが、それでも「行ってみたい!」と思っていました。

最近、冥王星の写真が、宇宙から地球に送られて来たことで、9つの写真が揃いました。感動です。

ただ、昔は冥王星も惑星の一つでしたが、現在では、準惑星という扱いになっています。大きさは月よりも小さいですし、さらに、冥王星よりも大きな準惑星がいくつも見つかっていますので、妥当だと思います。しかし、私の中では、他の8つの惑星と並ぶ存在です。

宇宙の本を読んで、改めて感動したことは、地球の内側をまわる「水星」と「金星」は、太陽があたれば400度以上になり、太陽が当たらなければマイナスになりますので、とても人間が住める場所ではありません。また、「火星」「木星」「土星」「天王星」「海王星」「冥王星」も、水は存在しないですし、とんでもない嵐が吹いていたり、ガスや氷の星です。人間をはじめ、生物が住める環境ではありません。

神様は、私たち人間とその他の被造物が住めるように、地球を一つだけを造られたのではなく、地球が今の環境を保てるために太陽系をはじめ、全宇宙を造られたと思うと、すごい贅沢だなーと思います。温暖化や寒冷化の心配の声が聞かれますが、地球が今の環境を保つために、全宇宙が存在するのです。

地球は23.4度傾いていますが、この傾斜角度が少し違ったとしたら、あるいは、少し太陽に近かったり、少し太陽より遠かったとしたら、地球は、今とは全く違う環境だったことでしょう。

先日、ラーメンを食べていると、目の前を通りがかった女性が、いきなり熱中症で意識を失って倒れてしまったことを思うと、人間の体は体温を少し超えたくらいで命を失うこともあり得るのです。神様が愛を持って完璧な創造をして下さったことを思って感謝で一杯になりました。

今日は、朝から仕事がはかどりました。お昼過ぎになり、娘の高校の宿題の手伝いのために、「一緒に行ってほしい!」と頼まれたので、家族で出かけることになりました。

暑いので、本当は気が進みませんでしたが、頼まれると「嫌!」と言えないところもあり、「どうせ行くならすぐに出かけよう!」ということになりました。

その宿題は、どこか一つの大学に行って、資料をもらい、学校のいろいろな現状を調べて、まとめて提出するというもので、クーラーを効かせた車で出かけました。

しかし、下の子供たちを家に置いてくるわけには行かないので、全員連れて行きましたが、それぞれに条件があって、例えば、「買い物をしたい!」とか、「〜を食べたい!」とか言うので、大学のキャンパスの近くで、いくつものお店によって買い物をしたり、食事をしたり、アイスクリームを食べたりしながら、帰りは夜10時頃になりました。

今年は、夏休みを返上して、家族やフランクリン・グラハム大会のお手伝いをすると決めましたが、不思議と、日帰りですが、家族で一緒に出かける機会が与えられますし、大会のお手伝いでも、あちらこちらを訪問することで、気分転換で楽しませてもらっています。

もともと私は、買い物が好きではありません。予め買うものが決まっていて、買ったら一目散に帰宅するのが私の買い物でした。ウィンドーショッピングなど絶対に考えられない人間でしたが、暑さに体が順応するように、妻の付き合いで買い物に行くうちに、少しづつ慣れて、今では好きになっています。特に、子供の洋服や雑貨、食品等を安く手に入れることに喜びを感じています。

帰り道、車の前と後ろに付いているTVをみんなで見ながら帰って来ました。

確か、「世界ナゼそこに?日本人〜知られざる波瀾万丈伝〜」という番組で、日本人夫婦が、今までの人生に終止符を打って、外国に移り住んで第二の人生を生きている人を取材して、紹介する番組で、とても楽しませてもらいました。

最初は、朝日新聞の記者を定年退職で辞めた後に、夫婦でバルセロナに移り住んだ夫婦でした。バルセロナでは、おいしい豆腐が食べられないことから、手作りで豆腐を作って、それを売りながら生計を立てているそうです。

「ジャーナリストから豆腐職人」という、全く違う人生を生きていることから、「一身二生」という言葉を使って、自分たちの人生を説明していました。

次の夫婦は、三十代前半でカンボジアに移り住んだ夫婦ですが、この夫婦は、おそらくまた日本に帰ってくるだろうなーと感じますが、奥さんの趣味がアロマテラピーで、ある日、アロマテラピーの用事で急にカンボジアに行くことになり、カンボジアに魅せられて、帰って来なくなり、仕方なくご主人は妻に付いてカンボジアに行き、美容師の仕事を辞めて、カンボジアで美容室を開業しているそうです。

この番組を見ながら、娘は、「楽しそう! 外国に移り住みたいね!」と言い出しました。

TV番組で、「一身二生」を生きている夫婦を見るのは簡単ですが、今の生活を捨てて、外国に移り住むというのは並大抵ではありません。

「それはとても難しい!」と感じました。

例えば、宣教師として、聖書が伝えられていない未開地に行くというのは大きな決断ですが、場所が違うだけで同じことをしている人生ですので、「一身一生」です。

「一身二生」を生きるということは、外国に移住して、牧師・伝道者・宣教師などとは無縁の仕事をするということです。

もし、神様が、「行って、全く違う人生を生きよ!」と言われるならば、そういう人生も悪くないなーと思いますが、やっぱり、簡単にできるものではありません。

ところで、一般的に世界で共通に使われている西暦は、2000年前のクリスマスを境に、「キリスト以前」と「キリスト以後」という年号が使われています。誤差はあるかも知れませんが、2015年というのは、キリストがこの地上に来られてから2015年ということです。また、「B.C」というのは、まさに「ビフォー・クライスト(キリスト以前)」という意味で、B.C3000年とか、歴史を振り返る時に普通に使われます。それだけ、キリストの降誕と来臨は、歴史を二分するような出来事でした。

しかし、それは世界の歴史だけではなく、私自身の人生においても、「キリストと出会う前」と「キリストと出会った後」で大きく人生が変わりました。

全く生きる方向が変わりました。また、生き方も全く変わりました。その意味では、私も「一身二生」を生きているのだなーと思いました。

人生を振り返ってみると、いろいろなことを思い出します。特に、ひどい目に遭ったことを懐かしく思い出します。私が、キリストと出会っていなかったら、ひどい目に遭わせた人を赦さなかったと思います。最低でも言い返して、おそらく仕返しをきっちりしただろうと思います。しかも、半沢直樹のように、倍返しをしたことでしょう。

しかし、古い菅野直基の人生は、イエス・キリストを信じたあの日に死にました。そして、キリストとともに復活して、新しい菅野直基の人生を生きています。

それはガマンや、忍耐や、いい人になったという類ではなく、古い私は死んで、新しく生まれ変わったのです。

もし、あのまま私の古い人生を生き続けていたとしたら、とんでもないことになったのではないかと思います。100倍返しもしたかも知れません。

しかし、そうしないで、相手を赦し、愛し、祝福できる人生に切り替わって、本当に自由ですし、幸せです。

18歳までと、18歳からの「一身二生」を生きることができることを感謝しています。

車を運転しながらですので、TVをチラッと見ることが精一杯でしたので、見たといっても、信号待ちの停車している時だけですが、今、「一身二生」目の人生を生きることができて「感謝だなー!と思い、喜びに満たされながら自宅に向かいました。

みなさんは、「一身二生」を生きていますか?

今日も暑い中、お疲れ様でした。

また明日お会いしましょう。おやすみなさい。

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