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2015年07月30日04:42

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産みの苦しみ

■痛くないお産、日本では少数派 背景に出産文化も
(朝日新聞デジタル - 07月29日 17:57)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3540393 

 かなりな人数の妊婦が、難産の長時間にわたる”産みの苦しみ”で、命を落としていたらしい、日本の産科医療。

 安産の場合、そんなことで悩むなど想像も付かないだろうけど、新生児を取るか、母体保護を取るか、というところまで選択を迫られる”おさん”というのは、命を削る作業だったようだ。
(なにしろ、華岡 青州http://u555u.info/mQY9の時代まで、麻酔すら漢方の恐ろしげな薬効に頼っていた時代)

 ”出産は病気ではない”という発想から、安産で済む例を「正常値」と考えると、その”氷山”に隠れた、身体的負担の大きい、難産の”苦痛”に関しては ずっとケアが後回しになってきた現状があったのだろうか。

 昭和の時代まで、自宅で産婆が付き添い、ほぼ”自力で”産むという出産スタイルも、貴賎を問わない、”ならわし”だった地域もあった頃の名残なんだろうか。
 

 オレが、病院勤務(と言っても事務方)で勤めたことのある公営企業病院には、”周産期センター”という、母体が妊娠してから 出産、産後の育児を開始するまでの ”胎児の発育と妊産婦のケア”を同時並行で行う発想で作られていた産科医療があった。

 母子の容態にも様々なケースがあり、その頃 多かったのは、低体重児や 早産の未熟児のケアで、どれだけの胎児を救えるかといったところに焦点が置かれ始めた頃だったので。

 NICUという、未熟児 早産児専用の救急医療センターが併設されたのもその頃だ。

 (オレの場合、自分は巨大児だが 母は、第二子 出産当時33歳 非常に低体重=38kgだったので、帝王切開になったらしいが、術中の事は覚えてなくても、麻酔が切れた後の ハラの痛みの話はよく聞いた)

 母体の低年齢出産や高齢出産に、どれだけ対応できるか、という 胎児の置かれる環境も、両極端に別れる傾向が、20年前ですでに始まっていたので。

 無痛分娩の知識も、そこではじめて知ったわけだが、少なくとも産科医療の現場でも”按ずるより、産むが易し”という発想はなかったように感じる。

(他に既往症があったり、妊婦の出産時の健康状態は、ほんとうに、ケースバイケースなので)

 ”母体内での胎児の異常”に伴い、普通分娩になるか帝王切開による摘出になるかは、半々だったし、実際に、そこで出産を経験した姉にしても、「母子共に健康な状態」で、出産するにしても、臨月のギリギリまで出勤し、(彼女も医療関係者だったが、別の病院に勤務) 生まれる直前(それこそ、陣痛の感覚が30分おきになって破水ギリギリになるまで) ”大丈夫ですから、まだ来ないで下さいね^ー^”と、促され、「どこが大丈夫じゃむかっ(怒り)」と、姉もあせったらしいが、出産には、”無痛”を択ぶことなく、会陰の上と下をハサミで ばちんばちん☆と切り開かれて、吸盤のような器具で 甥を引っ張り出してもらった感、すべての”細かい痛み”の記憶は、鮮明に覚えていたようだ。

 いわゆる、”スイカが鼻から出てくるような”とも、”すさまじい便秘を経験するような”とも、何とも言えない腹痛との たたかいだと聞いたが、そこを抜けると 拍子抜けするほど痛みが引いたそうな。

 とにかく、”継続した痛み”からくる、身体的消耗が少しでも軽くなれば、それに越したことはないほど、”おさん”は、一大事業だと思うので、「こんなこと面倒がられるのでは」と思わず、相談できる専門医や医療ケースワーカー、保健師、助産師が、いて下さるなら、相談して不安を取り除いて頂けるとよいなぁ、と思います。  

※かくいうオレが経験した この手の”痛さ”とは、3年前に”がんもどき”(ガンかと思ったら、普通の肉腫)を ハラを切って出した後の、麻酔が切れた後の痛みしか経験がないのですが。

 眠りに付こうにも、ずも〜ん、ずも〜ん、と頭に響くような げんなりするような鈍痛でした。ロキソニンで、鎮痛。
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