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2015年05月19日07:03

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ふるさと難民

生まれ故郷の九州、筑豊に戻ってから1年を過ぎた。最初の半年で妻と母との共生がうまくいくのか確かめ、住民票を移して行政サービスを受け始めた。家事の隙間時間ができたことから、40年ぶりに新曲を作る余裕ができたのは最大の収穫である。

新曲の動機となった高校のクラス会も無事に開催できたのだが、ひとつ感慨を深くした事柄がある。高校時代に一緒にバンド活動をした神奈川県在住の友人がいるのだが、永く茅ケ崎に住んでいてサザンのファンと称しすっかり都会人化している。方言がまったく出てこない。

私も卒業以来、愛知県から川崎、横浜、新宿、町田と大都市圏を渡り歩き、方言を使わない生活が続いたため筑豊弁も下手になっている。帰省のたびに100%近く方言に戻れたのは、卒業から数年だった。新宿育ちの妻と一緒だと、帰省しても標準語を使うほうが多くなり、聴くことは問題ないがしゃべるほうは次第に違和感を感じるようになってしまっていた。

今年のクラス会ではそのことを如実に感じてしまい、友人たちと「流ちょうな筑豊弁」を交わせない自分がもどかしく、寂しい想いをした。なんとなく「よそ者」感がしてしまうのだ。故郷の町は炭坑の閉山をきっかけに変貌を繰り返し、賑わいを失った中心市街地が、記憶に残るふるさとを幻のものに変えてしまった。このことも「よそ者」感に影響する。

自作曲「星影の飯塚」は40年ほども前の曲なのだが、その時点でさえ曲中で変わりゆく故郷への郷愁を歌っている。当時と比べれば、別の町かと思うほどの変わりよう。変貌の過程をリアルタイムで確認してこなかった都会の住民だった私は、故郷の喪失感について行けていない。そこはかとなく漂う孤独感、寂寥感。異邦人を感じる私。

この想いは曲にして残しておかなければならない。きっと同じ気持ちでいる人たちが多く存在するはずだ。音楽でこの思いを分かち合いたい、そんな考えがよぎるこの頃である。
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