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2015年04月23日09:43

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4/14〜4/16萩往還2回目・明木市〜佐々並市

「萩往還を往く」の2回目を歩いてきた。4/14,大阪南港発19:50発
のフェリーで新門司港には4/15朝8:30。バスで萩に向かい、前回の
最終地「萩往還道の駅」から歩き出す。10:20。
鹿背坂の山道に入り、悴(かせが)坂駕籠建場には10:40。   
「駕籠建場」は、殿様の休憩施設でここで旅人たちは、旅の疲れを
癒していたとのこと。
烏帽子岩や殉難三士の碑や松陰歌碑などを見て、明木(あきらぎ)市
に入る。明木・佐々並は、萩往還の宿場町として発展し「市の町」
(商店の並ぶ町)として栄えたという。
明木市〜佐々並市までは9km。所要3時間30分の行程である。
西来寺(さいらいじ)を訪ねる。ここの山門の瓦には天皇家と同じ
「菊の御紋」があり、萩城築城で功績のあった彦六・又十郎の石碑
もあった。「乳母の茶屋」で昼食とした。
ここは毛利家の乳母をした人が、お茶屋を与えられたという言い伝え
で跡地が休憩所になっている。明木は石州赤煉瓦が映える町並だった。

この町並を抜け、一升谷の石畳コースに入る。旧往還道の難所の一つ
であった、標高差300mの道。歩きながら「一升の炒り豆がちょうど
食べ終わる」ことからこう呼ばれたという。
雨水で斜面が流されるのを防ぐ為に、敷きつめられた石畳で往時の面影
が忍ばれた。途中には町田梅之進自刃の地があった。
赤間関街道の分岐もあった。この街道は、萩〜赤間(下関)を結ぶ
藩政時代の幹線道路であったとのこと。一升谷の十合目(標高346m)には
13:10。七賢堂の展望台には13:50。ここからは萩沖の漁火が見えるという。
あたり一帯は竹林公園になっていた。ここで国道262号線を横断する。
のどかな田園風景を見ながら、佐々並に向かう。
今日はいい天気になり、暖かで春の風がここちよかった。

国の登録文化財である「落合の石橋」を見てくる。
これは石組みの川岸から張り出した石を橋桁にした、特色ある工法の石橋
でした。山口県特有の造りだという。
そして、今回の最終目的地・佐々並市には15:20着。13km歩いたことになる。
「道の駅・あさひ」から新門司港に向かい19:50発のフェリーに乗り、  
大阪南港には4/16朝8:30着いた。

1600年の「関ヶ原の戦い」で敗れた西軍についていた毛利輝元は、領地が
周防・長門2ヶ国のみに減らされた。
新たに本拠地となる城を築く為に、防府の桑山、山口の鴻ノ峰、萩の指月山
の3ケ所を候補にしていたが、幕府の意向で最も交通の不便な萩に決定した。
もし、山口や防府に決まっていれば、萩を結ぶ街道は「御成道」として
整備されなかったであろうといわれています。

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