来月の天皇陛下のパラオご訪問、「亡くなった1万人はどんなに喜ぶかと思う」。
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戦後70年・ペリリュー島激戦 両陛下、生還兵2人に「本当にごくろうさまでした…」 4月にパラオ慰霊のご訪問
天皇、皇后両陛下は22日、先の大戦の戦没者慰霊のため4月のパラオ共和国ご訪問を前に、日本軍約1万人が死亡した同国ペリリュー島から生還した元日本兵2人を皇居・御所に招き、激しい戦いの状況などについて話を聞かれた。天皇陛下は前日からの風邪で熱があるため大事を取って途中退出されたが、2人に「本当に長いことご苦労さまでした」とねぎらわれたという。
招かれたのは元陸軍軍曹の永井敬司さん(93)と元海軍上等水兵の土田喜代一さん(95)。「徹底抗戦」の命令を受けていた2人は守備隊が昭和19年11月に玉砕し20年8月に終戦した後も、洞窟などに潜伏。武装解除に応じたのは22年4月だった。
ご懇談は約45分間に及び、永井さんは海岸での米上陸部隊との攻防を「本当の白兵戦でした」などと説明。「私どもは軍人ですから戦うことは当然のことです」と述べたという。土田さんは戦友が眠る地へのご訪問に対する感謝を伝えたという。
皇后さまは戦いの様子だけでなく、帰国後の生活や仕事についても詳しく質問し、「お体を大事に」とねぎらわれたという。
ご懇談後の取材に、永井さんは「英霊は静かにお休みになれると思う」と話し、両陛下ご訪問に合わせて島に行く予定の土田さんは「島では宮城(皇居)の方向を向いて飯を食べることもあった。これ以上の光栄はない」と語った。
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昭和19年11月24日未明、「サクラ、サクラ、テンノウヘイカバンザイ」と最後の電文を残して敵陣に突撃し、散華された日本兵。
この日の夜は敵・米軍の照明弾が数千発にも及び、上空は昼間のような明るさで、まるで“さくらの花”が散って行くように散華された日本兵を見送る光景であったという。
さくらのないパラオで、さくらも見たことのないパラオの人達がこのように言うのは、彼らが日本の教育を受けていたからさくらの美しいイメージがあったといいます。
戦いが終わってペリリュー島に戻った住民達は多くの日本人の遺体を見て泣きました。「アメリカ人は日本人の遺体には見向きもせず、自国民の遺体だけを持ち帰った。ここに征服民族の本性を見る」。
住民みんなで日本兵の遺体を葬りました。日本の人達がいつこの島に来てもいいように、その後も墓地の清掃に心がけていたのです。
「日本という国は何千年来の伝統を持ち、独自の文化をつくり上げてきた。その結晶が天皇陛下と教育勅語だ」と、パラオの女性は死ぬまで日本統治時代を懐かしんでいました。
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土田さんは陛下に招かれる前日、靖国神社で講演されて陛下のパラオご訪問をこのように述べられました。「亡くなった1万人はどんなに喜ぶかと思う」。
日本統治を知るパラオの人達は戦争後も日本の英霊とともに生活していることを誇りに思っていました。
このことを我々日本人は忘れてはいけません。
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